テロに関する私的一愚察

雨 宮 輝 行

 テロとは何であるか。視点により悪とも云えれば正義とも云える。弱者の抵抗権の発動との側面もあれば宗教団体の勢力拡大の為というテロもある。祖國を守る為のテロもあれば祖國を破壊する為のテロもある。拝金主義者などから道徳を守る世直しテロもある。間違った事でも数の力で正しいものと出来るのが民主主義だか、この民主主義を糺すテロもある。少し考えればテロと呼ばれるものが全て悪であるとは決して云えず、義挙と称えられる行動も数多あった。
 右翼と呼ばれる者の行動の多くは一人一殺が主流であり、左翼の行動は無差別が多かった。どちらが正しくどちらが間違っているかは今は問わない。ただ、右も左も共通の価値感があり、評価基準があった。それは“人”である。従来、右と左は同じ土俵の上で戦っていたとも云える。しかし、気付いたら土俵の外で価値観は“金”、評価基準は“金儲け”という新自由主義者達が猛威を振るっているという状態になってしまっていた。新自由主義者達は“今だけ、金だけ、自分だけ”という信念のもと、自らの餌場を造るために伝統・文化・風習は金儲けの邪魔と嘯き、國防より自らのショーバイ、祖國の誇りより金儲けが大事であると平然と言ってのける。人を人と見ずに単なる経済動物と見る。神勅を蔑ろにし多くの人に多大な犠牲を強いて一部の者だけが金儲けを出来るTPPを強行しようとし、組合と営利法人の区別もつかないバカに農協潰し=農業潰しの提言をさせたり、100%の失敗が明白な電力改革をするよう提言させるなど常軌を逸した改革を行い、当然あり得るであろう自らに向けられる正義の刃を防ぐ為に民主主義のルールに則り法を作る。テロ等準備罪がそれだ。まさに確信犯である。
 しかし、法というものは不変ではない。来年、平成三十年は明治維新から150年。事象的に考えると明治維新はテロの積み重ね、争乱の積み重ねから内戦に至り、その結果成立した政権交代だ。明治政府はテロ・騒乱・内戦により成立した政権である。もしテロ等準備罪の視点から見たとすれば薩摩や長州は組織的犯罪集団であり坂本竜馬は犯罪フィクサーだ。
 しかし、150年前の日本にはテロ等準備罪なるものは存在しない。そして、クーデターは成功し薩長を中心としたテロ・騒乱・内戦は正当化された。もっともテロ等準備罪があったとしてもクーデターに成功すれば「天下の悪法を正義の名のもとに叩き潰し、国民を悪しき法縛から解放したのだ」となる。安倍晋三の地元である山口県では明治150年を記念する行事が行われているようだが、これはテロや騒乱・内戦といった行為も含め記念する行事でもある。つまり安倍晋三の地元である山口県は行政としてテロや騒乱・内戦の結果成立したクーデターによる政権を否定していないのだ。これは山口県だけでなく鹿児島県や萩市など複数の自治体でも明治維新150年記念事業をおこなっていたり、計画していたりする。もっとも明治維新に至る一連のテロ・騒乱・内戦はテロ等準備罪が成立した現在でも我が國では否定的に考察される事はあまりない。又、テロ等準備罪が存在し機能している現代であっても明治維新の時と同様にテロ・騒乱・内戦からクーデター政権が成立しても「天下の悪法を正義の名のもとに叩き潰し、国民を悪しき法縛から解放したのだ」となるであろう。法は時の権力者の思惑でどうにでもなるものであり、法に正義などないと云う事だ。法にあるのは力だけであり、私利私欲だけの連中を守る力としてのみ働くのであれば屠らんとする力も働く。これは理の当然だ。

 我が國の歴史には多くのテロ=義挙があった。仮名手本忠臣蔵のベースとなった元禄赤穂事件は計算され尽した情念と尊皇精神の発露としてのテロ=義挙であった。朝日平吾烈士による安田善次郎誅殺は弱者の側に立った新自由主義者へのテロ=義挙であった。来島恒喜烈士による大隈重信へのテロ=義挙は我が國の主権を侵害させる付帯約束付の条約改正反対のテロ=義挙であった。戦後においても数多のテロ=義挙があった。
 三島由紀夫は「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。」と激を飛ばし自決し、森田必勝烈士もこれに続いた。

 トンに身も心も乗っ取られた“今だけ、金だけ、自分だけ”を信条とする者達にとっては生命尊重以上の価値観を知り、その一途な激情を発露せんとする者は全く理解できない恐ろしいものである。そして、その恐ろしいものの生命の積み重ねが神州の正気となって世を覆った時、我が國は再び目覚めるのである。

     ますらおの かなしきいのちつみかさね つみかさねまもる やまとしまねを
                                    三井甲之

平成二十九年八月十九日