三島由紀夫先生慰霊祭
11/21三島由紀夫先生慰霊祭記

 11/21正午に兵庫県加古川市志方町にある「玉の緒地蔵」には、全国から有志15名が集まった。ここは、三島由紀夫先生の本籍地にある慰霊碑なのである。
 地元の誉れであるとして、食肉業者を中心に寄付を募り、当時の県知事ガ揮毫した慰霊碑は我々の誇りでもある。
 当初に慰霊祭のお世話をして頂いていたのは、三島先生と兵隊検査を同期で受けられた方だったが逝去された。次にお世話を頂いていた老人会の方も逝去された。いつも慰霊祭の清掃奉仕に参加していた衆議院議員の塩田晋先生も、三島先生の実家の近所で生まれ育った同い年の方であったが逝去された。三島先生と直接間接にご縁のあった地元の方々が次々に逝去される中で、我々のような若者に「三島先生の思い」を伝えてくれる方は残り少ない。今度は、我々が次の世代に、三島先生の思いを伝えて行く番ではないだろうか。
 慰霊祭は、まず清掃奉仕として慰霊碑周辺の草むしりをする。そして全員で黙祷の後、三島先生の遺言とも言える「英霊の声」を奉唱するのである。三島先生が「2.26三部作」の中で唯一、映画化も舞台化も認めなかったと言われる短篇小説の傑作「英霊の声」。その中で、「我々は陛下に裏切られた者の霊である」と語る2.26の英霊たちが、怨みを込めて叫ぶのが我々が慰霊碑の前で奉唱する「英霊の声」である。
 今、三島先生の思いが何処にあったのか知る術はないが、「英霊の声」に綴られた憤怒と嫌悪にこそ、我々が心すべき原点がある。

 今年も慰霊祭の後、お下がりの清酒で清められた有志たちは、また来年の再会を誓って解散した。
 三島先生の本籍地に建つ慰霊碑は、今年も心ある全回の方々が静かに、そしてひっそりと、参拝と慰霊と誓いを捧げている。

村上 学 記





英 霊 の 聲

三島由紀夫作「英靈の聲」より

かけまくもあやにかしこき
すめらみことに伏して奏さく

・・・今、四海必ずしも波穏やかならねど、
日の本のやまとの国は
鼓腹撃壌の世をば現じ
御仁徳の下、平和は世にみちみち
人ら泰平のゆるき微笑みに顔見交わし
利害は錯綜し、敵味方も相結び
外国の金銭は人らを走らせ
もはや戦いを欲せざる者は卑劣をも愛し、
邪まなる戦のみ陰にはびこり
夫婦朋友も信ずる能わず
いつわりの人間主義をたつきの糧となし
偽善の団欒は世をおおい
力は貶せられ 肉は蔑され、
若人らは咽喉元をしめつけられつつ
怠惰と麻薬と闘争に
かつまた望みなき小志の道へ
羊のごとく歩みを揃え、
快楽もその実を失い、信義もその力を喪い、
魂は悉く腐蝕せられ
年老いたる者は卑しき自己肯定と保全をば、
道徳の名の下に天下にひろげ
真実はおおいかくされ、真情は病み、
道ゆく人の足は希望に躍ることかつてなく
なべてに痴呆の笑いは浸潤し
魂の死は行人の額に透かし見られ、
よろこびも悲しみも須臾にして去り
清純は商われ、淫蕩は衰え、
ただ金よ金よと思いめぐらせば
人の値打は金よりも卑しくなりゆき、
世に背く者は背く者の流派に、
生かしこげの安住の宿りを営み、
世に時めく者は自己満足の
いぎたなき鼻孔をふくらませ、
ふたたび衰えたる美は天下を風靡し
陋劣なる真実のみ真実と呼ばれ、
車は繁殖し、愚かしき速度は魂を寸断し、
大ビルは建てども大義は崩壊し
その窓々は欲求不満の螢光燈に輝き渡り、
朝を朝な昇る日はスモッグに曇り
感情は鈍磨し、鋭角は磨滅し、
烈しきもの、雄々しき魂は地を払う。
血潮はことごとく汚れて平和に澱み
ほとばしる清き血潮は涸れ果てぬ。
天翔けるものは翼を折られ
不朽の栄光をば白蟻どもは嘲笑う。
かかる日に、
などてすめろぎは人間となりたまいし
などてすめろぎは人間となりたまいし
などてすめろぎは人間となりたまいし
などてすめろぎは人間となりたまいし
などてすめろぎは人間となりたまいし