アジアの未来と日本の役割
−21世紀の若者への挑戦−

平成九年三月二十七日 マハティール首相 記念講演より


 平成九年三月二十七日、マハティール首相来日の際「アジアの未来と日本の役割<二十一世紀の若者への挑戦>と題した記念講演を行なった。

◇ 二十一世紀はアジアの世紀だと言っている人がいるが、古い意味での支配や覇権の概念は既に時代遅れで愚かしいものとなっている。残念ながら、ヨーロッパ人はいまだに古い概念にとらわれ、考えうる限りのアジアの覇権的脅威を想定したがっている。彼らは世界中の植民地を失うと、今度は貿易・政体・人権や環境保護などの価値体系全体を決定し、その支配を温存しようとしている。それを続けられるのは、誰もそれに異議を唱えようとしないからである。アジア人こそ、ヨーロッパ人の影響との均衡を作り出せるはずなのに、実際はまとまりに欠け国際問題において重要な役割を果たす用意ができていないのである。
 アジアが世界を支配することはなく、アジアの世紀などなり得ない。しかし、アジアがもっとまとまれば、より平等な世界の形成に寄与する均衡状態を作り出すことが出来るはずである。
 アジアの未来を決定するのはアジア人である。もしアジアが、今後も世界でヨーロッパの優位を許すなら、不平等で抑圧的な雰囲気が急速に拡がり、世界にもアジアの為にもならない。しかし、もしアジアが国際問題で意味のある役割を演じ、ヨーロッパ人の誤った姿勢と政策に反対し修正するなら、より公正で平等な世界、弱い国も強い国も平和と繁栄のもとに共存できる世界が期待出来るのである。これは軍事的に対立することではない。アジア人が自らの過去と経験に基ずいた議論をする事が必要で、それはおおいに有益なはずである。
 日本の役割は明らかだ。日本はアジアで最も進んだ国であり、国際問題でもそれなりの役割を果たさねばならない。アジア諸国の関心事を取り上げて、よき手本を示さねばならない。また、自らを東洋に位置する西側先進国と考えるのを止めなければならない。日本は「アジアの世紀」のアジアの支配ではなく、来るべき「世界の世紀」における、より平等な世界への先達としての役割が期待されているのである。
 二十一世紀の若者は、歴史の重荷を投げ捨て自らを世界市民と考えることで、肌の色、信条、思想の優劣を忘れるべきである。
 世界が丸い事を理解すべきだ。洋の東西とは相対的なもので、日本は米国から見れば西にあり、米国は日本から見れば東にある。我々は相違や優劣を暗示する事なく、東や西の国民を自称する権利があるはずである。
 地球全体を自らの惑星として忠誠の対象と考えるべきである。そして、それぞれの国民の伝統と文化は保存され、あらゆる国のあらゆる伝統と文化は同等の価値を認められなければならない。
 二十一世紀の若者の挑戦は、情報化時代によるボーダーレスな世界のなかで、世界を魅力的にしている人種や信条の多様性を保ちつつ、いかにして「世界の世紀」に順応するかということだ。アジアの若者にとって、彼らが二十一世紀の様相と力学をいかに理解するかが彼ら自身が果たす役割と今後のアジアの発展を決定する鍵となるのである。