内なる危機を外に転換せんとする中国
 危機脱出の標的とされる日本
                                           伊達宗義

精神汚染の浄化を決議
 一昨年10月中国共産党の第14期6中全会が開かれ、「社会主義精神文明の建設を強化する決議」が採択されて閉会した。「社会主義精神文明の建設」を強化しなければいけない、という党中央の決議は、10年前の1986年9月に開かれた第12期六中全会でも行われている。10年後の今日、再び同じ決議が党中央で採択されたのである。この事は「精神文明の建設」が目下、差し迫った必要性を帯びてきたのだ、と見る事ができよう。

 中国はこのところ目覚しい経済発展をとげている。世界銀行等を始め西側各国の経済権威筋は、21世紀半ばごろには中国はアメリカや日本などを抜いて、世界第1の経済大国にのし上がるであろうという予想を立てているほどである。
 中国がこれほど経済面での成果をあげ得たのは、ケ小平が強力に進めた改革、開放路線のおかげだといっていい。毛沢東時代の対外閉鎖主義から一転して、西側先進諸国から近代化建設のための資金援助と技術や設備等を大幅に導入することに踏み切ったのが、目覚しい経済発展を生み出す最大の要因となったのである。その意味で改革、開放路線の功績は極めて大きいといわねばなるまい。

 しかし、この改革、開放路線とその成果として生み出された経済の発展は、積極的に評価されるべき反面、誠に厄介な憂うべき数々の問題をも同時に派生させた。派生したそれらの問題は、今や、改革、開放路線のその成果の経済発展を“ダメ”にしてしまうほどのいきおいにまで成長し蔓延ってきたのである。その問題とは何か。中国は経済や科学技術などをひっくるめて「物質文明」と呼んでいるが、その「物質文明」の発展に対して、「精神文明」が著しく欠如しているということなのである。その状況を「決議」は次のように表現している。

 「社会の精神生活の面には問題が少なからず存在しており、中には極めて由々しいものもある。一部の分野では道徳が失墜し、拝金主義、享楽主義、個人主義が蔓延し、封建的な迷信活動やポルノ、賭博、麻薬吸飲などの醜悪な現象が息を吹き返している。偽者と粗悪品を売り捌き、詐欺を働く事が社会的公害となっている。文化事業は消極的な要素に揺さぶられ青少年の心身の健康を害するものが、いくら禁止してもなくならない。腐敗が一部の地方で蔓延し、党風と政風が大きく損なわれ、一部のものは国家意識が薄れ、社会主義の前途に疑惑を感じ動揺が起こっている。精神文明建設の情勢を推し量るに当たり、これらの問題は決して無視してはならない」

 六中全会で「精神文明建設の強化」が決議された理由とその必要性は、正にここにあるのだ。

党政幹部の腐敗が進む
 決議はその中で、この精神文明の欠如、欠落の問題を5項目に分けて指摘している。第1は、党、政機関とその幹部の腐敗の深化である。第2の問題は、偽者と粗悪品の販売と詐欺行為の横行である。第3は売買春、賭博、麻薬吸飲などの醜悪な現象の蔓延である。第4は文化のゴミ…低俗な小説やビデオなど…の拡大である。そして第5は社会の治安の悪化、環境破壊の進行である。

 この中で最も根源的な問題は言うまでもなく第1に挙げられている“党、政機関とその幹部の腐敗”である。我が国でも最近の政治家、官僚の腐敗堕落の様相は目を覆うものがあるが、それでもなお民主体制の下では、国民の監視、批判の目がそれなりに光っており、浄化作用に期待を寄せられる点が残っているけれども、1党独裁体制の中国に於は、殆ど全ての権力を掌握している党と政府の腐敗は、最早自浄する事は極めて困難な状態にあるといわねばならない。この党政の腐敗は当然社会全体に腐敗を撒き散らすことになる。問題として挙げられた5項目の第1に続く後の4項目の問題は、全てこの第1の問題である党政の腐敗が根源となって生まれたものだ、と言って誤りではない。

 では、党の腐敗は何時頃から表れてきたのか。1982年9月の12全党大会では、党内に存在する党風の著しい乱れが指摘され、これを克服する為に3年の歳月をかけて全面的な整党工作を行なう事を決定している。言ってみれば改革、開放路線を取始めたのと同時に党の腐敗が顕在化してきたのである。以来何回にも渡って党風是正が叫ばれ、腐敗追放の運動が展開されたがその効果は現在に至るまでいっこうに表れていない。昨年の7月1日中国共産党創立記念日に合わせて人民日報に発表された「政治を重視する事に関して」と題する講和の中で江沢民は、ますます激しくなる党風の乱れの実態を次のように明らかにしている。

 「ある幹部は本も新聞も読まず党の司令も読まず調査研究はそっちのけ。このため政治的に情勢を観察し調査点を考えることができず、政治的鋭敏性が欠乏している」

 「あるものは党の方針、政策、決定のうち自分に都合のいいものは実施するが都合の悪いものは手を付けない。中央から再三再四指示、命令されても聞こうとせず自分勝手にやっている」

 「ある地区や部門の保護主義は相当厳しく、彼らは局部の利益と個人の利益を守る為に、時には犯罪に連なる事までして利益を守ろうとしている」

 「あるものは是非の区別がなく、党の基本路線と政策に違反し、さらにはデマを伝えデマを信じて口コミ話を広げている。」

 「あるものは名利を追求するためコネ作りに熱中し、グルになって軽薄な作風を党内に広めている」

 「あるものは気力を失い問題を回避し、工作に責任を取らず、虚偽とペテンを弄している」

 「あるものは大衆に関わろうとせず、大衆を助けようともせず、甚だしきは大衆を圧迫している」

 「あるものは権力を私利私欲の為に遣い、国家と人民の利益にひどい損害を与え、甚だしいのは犯罪の泥沼に落ち込んでいる」

 「あるものは外国との付き合いの中で、国家と民族の利益を守ろうとせず、国の品位を落とし人格を失っている」

 中国共産党の無規律ぶり、党規の紊乱ぶりがうかがわれる。一党独裁体制の中国で、権力の全てを掌握している党がこの様な体たらくでは社会の秩序が正しく守られるはずがない。事実、中国社会は憂うべき状態におかれているのである。


売春・誘拐・麻薬の蔓延
 江沢民は党の腐敗に続いて4項目の問題を指摘したが、ここでは紙面の都合上、そのうちの第3項と第5項の問題について事実関係を略述しておこう。

 第3項は売春、麻薬の蔓延の問題である。

 毛沢東時代は殆ど聞かれなかった売春行為が改革、開放が進み経済活動が活発化し、“一切向銭看”思潮が拡大するにつれて沿海地区を中心に広まってきた。すでに、89年4月の公安部の会議で、売春行為が数年来日毎に広がり重大化している、と指摘されている。中国側の発表によると、1986年に売春で摘発された人数は25,021人であったのが89年には115,289人に激増し、それに伴って性病も増大している。91年に上海では3ヶ月間に1,797人が検挙されたと報ぜられている。国務院の発表では82年から91年までの10年間に逮捕された売春関係者は68万2000人にのぼり、91年だけで20万1000人と前年比46%の増加となっている。しかも驚く事は、政府や党、軍の宿泊施設が売春の温床となっているというのである。

 ここで売春の裏側で跋扈している婦女子の誘拐事件にも触れておきたい。婦女誘拐は80年代に入って目立って増大し、その勢いは今も衰えることなく続いている。人民日報よると、四川省だけで毎年1000人を超える婦女が誘拐されて他地域に売り飛ばされており、山東省では80年代には2万人以上の誘拐された婦女が救出されたという。政府機関の発表では91、92年の2年間に救出された婦女は4万4千人にのぼり、93、94年の2年間に全国で摘発された誘拐事件は、3万3千余件で2万7千5百人の婦女が救出されたという。また〔公安報〕は、この5年間に誘拐されて売り飛ばされた8万8千7百59人が救出され、逮捕者は14万3千人にのぼると報じている。

 誘拐された婦女子は遠く離れた土地で、農民の嫁として売られるケースが多く、売り値は3千から4千元だといわれている。もちろん都市につれて行かれて売春させられるものもいるはずである。

 いずれにしても、年間1万から2万もの婦女が誘拐されるという社会状態は他の国では有り得ない。中国が如何に乱れているかを如実に物語るものといえよう。

 麻薬吸飲も同様である。中国共産党が大陸を制覇して3年も経たぬうちに中国は《無毒の国》となった。しかし改革、開放が進み、80年代半ば頃から再び麻薬が中国を侵しはじめ、90年代に入ってからは中国国内で押収される麻薬の量は直線的に上昇しており、その犯罪活動は沿海地区から奥地に向かって広まっていて、麻薬常習者は年毎に増大し、その中に公務員も少なくない。また吸毒者の低年齢化が進み中・小学生の吸毒者も発見されていると報告されている。

 このように拡大深刻化する麻薬渦を抑える為に、中国は麻薬犯罪に対しては特に厳しい姿勢で臨んでいる。そこには阿片戦争以来麻薬に悩まされてきた、かつての中国の暗いイメージを払拭しようという潜在意識が働いているのだ、と見る事ができる。

 麻薬犯罪に関わった犯人の多くは極刑に処せられており、しかも一挙に数十人を処刑するケースが目立っている。例えば91年10月には昆明で35人が、92年6月には58人が、94年6月には福建で56人が、同年10月には広東で44人が大量処刑されている。麻薬密売の盛んな雲南省では93年中に473人が死刑になっている。此れ迄一体どれくらいの人数が死刑になったのか明らかにされていないが、麻薬犯罪での処刑者を含めて年間1万人ほどが処刑されていると見る向きもある。しかし、これほど厳しい姿勢で臨んでいても、なお麻薬渦は収まりそうにはなく、遂年その害渦は拡大していっている。

深刻な刑事犯罪の増加
 中国はかつては日本と並んで治安良好な国と称されていたが、改革、開放が進むにつれて社会秩序の乱れが表面化し治安が悪化してきた。

 治安の悪化は様々な形で表れているが、中でも凄まじいのはかっぱらい―窃盗である。窃盗といってもそこいらにあるものを見つからないようにちょっと持っていくと言うような生易しいものではない。軍用通信線を何千メートルも盗んだり、油送管を破壊して石油を大量に盗んだり、鉄道や空港の施設、設備を壊して持っていったりする事などが80年代初めから顕著に発生し、今も止むことなく続いている。89年には全国の通信線、ケーブル等が実に1,440キロメートルにわたって盗まれたと報告されており、93年には農民らによって油田やパイプラインから盗まれる石油類の被害額が日本円にして200億円近くに上っていることが明らかにされている。

 さらに哄搶≠ニ呼ばれているものがある。これは多数の農民が、時としては一村挙げて、あるいは数ヵ村が合同して貨物列車などを襲い、積んである石炭や木材、その他の貨物を奪い盗るという行為である。これに鉄道関係者が手引きをしているケースが多い。

 また車匪路覇≠ニ呼ぶ強盗行為が勢いを逞しゅうしている。何人もの不法分子が列車に乗り込み旅客から金品を強奪するのである。

 公路では長距離バスに乗り込んで金品を強奪し、またトラックや乗用車を無理矢理止めて色々な名目で金を強請り取る行為も盛んに行なわれている。車匪路覇は全国的に猖獗を極めており、これを取り締まる為に中央に特別の組織が設けられ、公安、鉄道、交通の各部門と地方とが一体となって取締に当たっているが、今もってこれを抑制する事が出来ないでいる。

 これに加え最近は、銃を使った犯罪も多発しており、昨年は北京で3件もの銃撃戦を伴った銀行強盗が連続して起こっている。不法銃器の押収に公安当局は力を入れているが、当局の発表した数字によれば、94年から96年半ばまでに全国で約133万丁の銃器が押収されているが、しかも驚く事は、その中に1万丁を超す軍用銃が含まれている事である。軍規の乱れがそのまま表れている事象だといっても過言ではあるまい。

 以上の事にかてて加えて、すでに述べた誘拐事件の多発や麻薬吸飲の拡大など、中国の社会秩序の乱れ、治安の悪化はいまや相当な程度までに達していると見る事ができる。

 これに対し中国当局は、昨年春から「刑事犯罪活動を厳重に打撃する工作」、いわゆる「厳打」運動を発動して治安の回復に乗り出し、不法分子に対しては厳罰を以って臨んでいる。しかし大きな掛け声の割には効果が上がっていないようで、治安が目にみえてよくなったという兆しは表れていない。

内の問題を外に置きかえる政治手法
 このような有様では独裁政党である中国共産党の権威は低下せざるをえないし、党に対する民衆の不満、不信の念は高まらざるをえない。中国共産党の統制力は弱まり、一党独裁体制の維持存続にもかげりが出てこよう。こうした、党から離脱しょうとする民衆一般の遠心力≠打ち消し、党への求心力≠強めるためにとられているのが、数年前からすすめられている「愛国主義」運動である。

 「厳打」運動が治安悪化へのいわば受け身≠フ対応だ、とするならば、「愛国主義」運動は民衆を一致団結させて党に対する求心力≠高めさせようという積極的≠ネ対応だといっていい。

 愛国主義−ナショナリズム−を昂揚させるには、憎むべき外敵を設定して民衆に敵愾心を持たせるのが一番手っとり早い方法である。その憎むべき¢ホ象に中国は日本を選んでいるのである。日本を憎み、日本を敵視することによって愛国主義運動の効果をあげようというのである。

 中国は日本を非難攻撃する材料をいくらでも持っている。靖国神社参拝問題、南京大虐殺問題、教科書改正間題、従軍慰安婦問題等々から、中国の核実験に日本が対していることまでも非難の材料にしているのである。

 しかもさらに露骨に日本を敵視しているのは、昨年二月に訪米した遅浩田国防部長があろうことか公然とリメンバー・パールハーバー≠ネる言葉を持ち出して、かつての対日戦争のときのように、アメリカと中国は共同して敵=|すなわち日本に当るべきだ、というこをアメリカに呼びかけていることである。日本敵視をアメリカにも慫慂しているのだ。

 すでに述べたように中国はいま深刻な国内問題をかかえ、その解決のためにさまざまな手を使っているが、容易に解決のメドは立っていない。そこでその内≠ネる危機を回避するため、問題を外≠ノ置きかえて、日本を憎み敵視することによって、危機を乗り越えようと企らんでいると見ることができる。中国一流の老檜にして狡猾な政治手法である。日本はこうした中国の手法をしっかりと見抜いて、怖めず臆せず堂々たる対中政策を推し進めて行かなければならないのだが、これまで中国に対して土下座外交に終始してきた政府に、それを期待することができるのか、まことに心もとないことといわざる得ない。橋本内閣は、行政改革だけではなく、毅然たる外交姿勢の確立にも力を注がねばならない。

民族戦線第六十九号 平成九年二月七日発行より