平成の御世に入ってからの規制緩和で成功例は無い。人の命と引き換えに規制緩和・改革が失敗であったと証明されるなどした例や、新税創設で証明された例など、全て失敗と言っても過言ではないだろう。そして、安倍政権は他所の失敗や過去の教訓を全く生かす事無く、いや、他所が失敗してやり直し作業に入っている現実を横目で見ながらその失敗改革を強行しようとしている。正気の沙汰とは言えない規制緩和・改革路線の行きつく先は・・・・・・想像したくない・・・・・。
 今回はあまり知られていない分野での規制緩和の弊害について、当事者の声を聞いていただきたい。そして、百害あって一理無しの安倍路線についてしっかり考える一つの参考としていただければ幸いである。


規制緩和の弊害について

     花 屋 か ら の 提 言

兵庫県生花商業協同組合 理事長 花本 隆彦 


 花屋はどこの街角や商店街にもある、とても身近な存在であろう。だが、その業界の内情・将来性・政治的問題などは一般に知られることは皆無である。
 そこで、私が思うままに業界の実態と政治的問題、特に規制緩和に由来する諸問題をお話しする。
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 花屋は、バブル経済によって景気が右肩上がりになった昭和五十七〜五十八年頃を100として、最盛期の平成一〜二年頃には150の水準まで市場が膨張した。特に、その頃に開催された「花と緑の博覧会」(花博)によって、業界は膨張し続けるものと誰もが信じていた。
 だが、バブル経済が破綻してみると、花屋も後戻りのできないレールを走らされていたことが分かった。走らせていたのは政府・農林の思惑であったのだ。
 まず、バブル以前に比べて大量に増加した生産農家(荷主)たちは、政府の減反政策によって転換した人たちである。つまり、米の減反に比例して花の荷主が増加したのである。「簡単にできる、よく儲かる」との農林サイドの勧めで、多くの百姓が米から離れた。
 花作りが簡単にできるようになった背景は、バイオ技術の驚異的発展があったからだが、それは主として洋品種を改良するものであった。今までになかった品種が生まれ、均一化・安定化した出荷体制を保障することができ、種からではなく苗から育てるために年間三〜四作が可能になり、各地のJAも積極的に農家を指導・育成する裏には、農林政策による「米とのバーター」があったのである。
 バブル以前の日本の花市場においては、菊が相場の牽引車と呼ばれた。菊は今でも全体の10%ほどを占める主役には違いないが、バイオ洋品種の増加によって、洋品種と和品種の比率は7対3になっている。消費者の好みが変化したことも一因だが、農林政策のリードが強力であったからこその結果である。
 しかし、花の場合は農林の中で最下位的な扱いを受けている。しかも、花卉対策課が直接指導するのは生産・流通の部分であり、小売に関してまでは届かない。逆に小売の場合は、通産の指導が厳しく届いているようなことである。この花の立場の弱さは、「食料ではない」という理由に外ならない。農林としては、花の生産・流通を強力に指導さえしておけば良いということだろう。私の住む兵庫県を例に取れば、まず農林系財団法人日本花卉普及センターの方針が近畿農政局において具体化され、県農産園芸課から各地JAなどに通達され、それを末端の生産指導員の先生方が生産農家に徹底的に指導する形だ。「今年はこの品種でこの苗で」と指導された通りに荷主は作るのである。流行物が市場でダブついた話は全国的に頻繁にあり、バイオ苗を生産する種苗メーカーと生産指導員の癒着を口にする市場関係者までいるようである。つまり、大規模メーカーと農林の結託によって市場を左右するのである。私としては信じたくないが、噂は根強い。
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 花屋の歴史をご存じだろうか。
 花を専門的に扱うという立場では、古くは奈良朝前期に神に捧げる榊を準備する役目の者がいたことに始まるだろう。榊は日本全国、どこででも生育する植物である。神に捧げるのに、その榊を選んだ理由は、神を祭る風習が榊のエリアと一致することだけ見ても十分であろう。次に、時代が下がって平安朝になれば、寺院の勢力が増大して配下に仏に花を供える専門家を置いた。質実剛健の鎌倉時代を過ぎて華麗な京都室町の時代に移れば、京都の多くの寺院に切り花を供えるための商売が独立する。そして、それら寺院からは華道が生まれるのである。
一般庶民が花を飾るようになるのはもう少し後になるが、京都を始めとする遊郭において処々に花を飾った室町文化の展開と考えられる。つまり、室町においては「花を飾るのは粋なこと、玄人のすること」という風潮が高まる。すると巷の粋人たちは、競って花を飾るようになり、花屋が増加する。ならば、生産・流通・小売の連鎖を持つ産業に発展するのは当然である。花屋の歴史は、古くは奈良朝から。商売として現在の形態になるのは室町から。華道の誕生もルーツは同じということである。
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 日本の花屋は政治に翻弄された経験が少なく、農業を広義に解釈した分野に分類される業界ながら海外からのパッシングも受けず、その意味から「政治オンチ集団」になっていたようである。自分の商売繁盛しか考えていなかったと言っても過言ではあるまい。前述の大阪花博を境にして輸入花が増加し、市場取り扱いだけで約17%前後になるまで膨らんだのだが、実はこれが「規制緩和」のタガを外す序盤戦だったのである。植物検疫の簡素化によって……という説明だけで、その当時は皆が納得していたのである。
 日本の中央市場などに輸入花を入れるのは日本の商社であるが、それらはオランダの取継ブローカーと契約した上で貿易を許されているものがほとんどだ。そのオランダのブローカーたちは、品種と価格の面においてヨーロッパだけでなく世界の市場を支配している。取り扱い高が増加すればするほど、彼らの支配力は高まるという寸法なのである。
 また彼らは、日本の大型商業資本を呼び込んで直接取引する「市場外流通」も急増させたのである。この市場外流通については、花という商品でありながら、業界の私たちには品種も総量も窺い知れないのである。日本政府は、花に関しては将来像を持っていないために、国内需要を満たすとか貿易不均衡を正すという言い訳によって、すぐ規制緩和を実行してしまう。業界の将来など考えもせず。
 その政治に対抗して業界を守るべき私たちにも、独立した力がない。市場の統合においても、花博以降は行政に完全にリードされている。
 市場には「大阪方式」と呼ばれる第三セクター会社方式があるが、大阪府の思惑とは逆に全国からの評価は「大失敗」と言われている。これによって第三セクターにする勢力は弱まると見られるが、結果的に言えば失敗は初めからわかっていたことなのである。それよりも、自治体が家主となって運営する中央市場方式の方が円滑だと考えられる。この方が自主性も保てるし、経費なども安くて済む。しかし、だからといって海外からの大量に
流れ込む輸入花を支配することはできない。
 今後の業界の展望として考えられている中に、生産地の後継者不足を解消するためにJAが生産者を大型化・グループ化・企業化するべきだとの声がある。しかし反対に、そうなれば共撰・共販体制によって少品種や弱品種は助かるだろうが、全国的に均一化が進んで小売店はダメになるとも言われている。小売店としては、同業者が団結して大型店舗を設立するか、ディスカウント店・専門店という特色を柱にするかしか方法がないとまで言われている。
 「輸入花が税関に24時間留まる必要はない。バイオの発達によって病害虫などの不安もない。植物検疫は簡素化されるべきだ」−たったこれだけの政治的策謀によって、私たちの業界は海外からのインベーダーに攻撃されて死滅するかもしれないのだ。もし国家が、私たち花の業界は必要ないと考えているなら、トキやコウノトリへの道を喜んで進もう。しかし、そうでないと言うなら、政府は「規制緩和」を撤回するべきであろう。
 オランダのブローカーなどのフラワー・メジャーたちは、世界中どこへ行っても店も品種も価格も対応も全く同じ「花屋のマクドナルド化」を目指しているのは明白なのである。
 規制緩和する時のタイミングと言い訳は、その時点では誰も反対できないほど見事であるが、それによって業界の体力は衰えて最終的には死滅するのである。規制緩和と価格破壊を声高に叫ぶのは、一部スーパーなどの大型商業資本と外国勢力の子分たちばかりである。
 私たち業界も強く賢くなる努力をするが、農林政策は私たちを正しい将来へ導くことを実行してくれねば困るのである。
 前述のように五百年以上続いている業界なのであり、私たちは「最も日本文化を体現している商売、日本らしさに直結する商売」という自負を持っている。その伝統と自負が「規制緩和」に敗北する訳にはいかない。
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 兵庫県は阪神大震災によって多大な被害を受け、花屋も業界全体が窯息状態にまで落ち込んでいる。
 被災地では、戦後日本を代表すると言われる「土建屋」の実力と、大型商業資本の実力をまざまざと見せつけられた。「花屋も、もつと骨太にならねば」と痛感する。
 皆さんが、日頃から街角や商店街で目にする花屋の業界も、色々な悩みを抱えていることをご理解ください

民族戦線 平成八年十月十日(第68号)より