まず下の文を読んでいただきたい。
朝日放送8/14 21時2分 京都、なぜ卒業証書に西暦はダメなの?
京都市内に住む中学1年生のある生徒は、この春、小学校を卒業したのに卒業証書を持っていません。
この生徒は、「卒業証書に西暦の日付を書いてほしい」と訴えていましたが、元号にこだわる学校がその願いを拒否したため、生徒は卒業証書を破ってしまったのです。どうしてこんなことになってしまったんでしょうか?
【A君 インタビュー】
「一言で言うと怒り、校長に対する怒りでした」
京都市に住むA君は中学1年生。この春市立の小学校を卒業しましたが、手元に卒業証書がありません。3月に行われた卒業式で、名前を呼ばれたA君は、卒業証書を受け取るため、壇上に上がりました。そこで「僕は元号での卒業証書は要りません」と言って、卒業証書を破りました。こんな行動をさせた訳は、何だったのでしょうか。
A君は、「卒業証書の日付を元号ではなく西暦で書いて欲しい」と校長に訴えていました。校長が拒否したため、せめて「西暦と元号の併記でもいい」と願い出ました。ところが、その主張も聞き入れてもらえなかったのです。
【A君 インタビュー】
「西暦さえ書いてくれたら元号があってもいいですと。とにかく西暦は書いてくださいと。西暦はずっと使っていくじゃないですか。年とかの計算に使いやすくて合理的だし・・・」
【A君の母親 インタビュー】
「この子が西暦で出してもらうことによって、どう不都合があるのか全く理解できないんですよ」
元号は、日の丸や君が代と並び、以前から学校現場で問題となってきています。戦時中の皇民化政策との関係などから反発があるのです。13年前、広島県では、西暦表記の卒業証書を出した校長が処分された例があります。
ちなみに大手新聞社では、産経新聞社を除き、朝日新聞などでは、西暦表記をメインにしています。朝日放送では、元号が昭和から平成に変わった段階で、わかりやすさを重視し、原則西暦で放送をしています。京都の学校が元号にこだわる理由は何なのでしょうか?実は5年前、A君と同じ小学校を卒業した兄は、西暦表示の卒業証書をもらっていたのです。ただし別の校長でした。
【A君の母親 インタビュー】
「(前の校長は)『自分が始末書を1枚書くことによって、西暦の卒業証書を出して、それで喜んでくれるのなら、私は喜んで出す』と言ってくれました」 現在の校長は、「京都市の公文書は、元号表記と決められています」と繰り返すばかりでした。京都市教育委員会に聞きました。
【京都市教育委員会・学校指導課長 インタビュー】「その時点での校長先生の理解が不十分だったということでありますので、その後校長先生には、元号表記の卒業証書を出すようにとの指導は、過去にやっております」
京都市がこだわる理由は、公文書では元号表記するようにという通達文書です。職員は、この通達通り職務を遂行しているのです。ところが大阪の豊中市では、6年前に公文書をすでに元号と西暦の併記にしており、卒業証書も元号と西暦の併記になっています。また、大阪市では、卒業証書の交付前に児童や保護者の希望を聞き、その希望を尊重して書いているということです。
【A君 インタビュー】
「兄の卒業証書を見せたんですけど、校長は『そんなのは卒業証書として認めない』って。それは絶対おかしい」
今も、A君の手元には自分の卒業証書はありません。
【京都市教育委員会・学校指導課長 インタビュー】
Q.「元号表記の卒業証書を希望しない人は、公立学校に来るなということですか?」
A.「いえいえ、そんなことは、申し上げるつもりはございません」
Q.「痛みを感じている人がいるのも事実だと思いますが?」
A.「おっしゃる通り、そういう方がいるということも認識はしておりますが、願わくば、ご理解の上でお受け取りいただければ有難いと考えております」はっきり言ってこの問題に関わって論議すること自体が筋違いだと思います。
京都市は、去年、国際化の観点から、日本国籍ではない児童・生徒が希望した場合、西暦表記の卒業証書を交付するようになりました。しかし、A君にはあくまでも元号表記の卒業証書が渡るよう説得を続けるということです。
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はっきり言ってこの問題に関わって論議すること自体が筋違いだと思います。校長は公僕に過ぎません。みんなの決めたルールに従ってルール通りのことをしたに過ぎません。それなのにそのルールを破ることを強要されて責められる理由はありません。
勿論、元号の卒業証書が欲しくなかったと言うその人の個人の自由も尊重します。しかし、その権利行使(元号表記の卒業証書を破る)によって卒業証書がないという事実はその個人の責任として受け止めるべきではないでしょうか?何故、その人だけ決められた社会のルールを破って私達が受け入れなければならないのでしょうか?
ルールに沿って作られた公文書の卒業証書を貰うことを嬉しく思っていた生徒も少なからず居たでしょう。その生徒の目の前で卒業証書を破るという行為はその人達にとって不愉快な行為だったと思います。
私はこの小学生のとった行動は非常に不愉快です。私達の税金を使ってこの人のためだけにルール外の西暦の公文書を再発行すると言うことはこの人達は私の権利を侵しています。この人達にとって自分の自由や権利を主張することは自由ですが、私や他の人の権利や自由を侵すことは認められないと思います。
日本は議会制民主主義国家です。全てのルールは民主的な選挙によって選ばれた議員が決めています。私は選挙権を得てから全ての選挙で投票しています。全ての選挙で、全ての候補者の公約に目を通させていただいておりますが未だかつて公文書に元号表記をすることに反対の候補者の公約というものを見たことがありません。このような主張があるのなら、このような主張で候補を立てて公約すべきです。その人が当選するか、しないかでみんなの意志を仰げばよいでしょう。また、自分の支持する議員に議会で提案することを持ちかけてもいいでしょう。
ルールに従うしかない公僕に問題をふっかけてパフォーマンス的に問題提起を行うこと自体が筋違いです。何故、この人達は社会のルールに沿った方法で問題を提起しないのか?社会のルールに沿った方法で問題を解決しないのか?それを疑問に思います。
シナリオライター 女性30歳
上は朝日放送によるニュース番組の一部であり、下はこの放送内容に関する民族派とはなんら関わりのない方の感想である。
はっきり言って私のような民族派の人間はまず上記朝日放送による反日を煽る狂気の放送に激しい怒りを感じ、元号に関する原理原則のみにとらわれ世間から乖離した方向に走りがちになる。これは決して間違っていようはずはないが、やはり我々民族派とて現在を生きてる以上原理原則を堅持しつつも他の切り口も持ちたいものである。その意味でこのシナリオライターの感想は我々にとって面白いものがあると思うが、みなさんは如何お考えであろう。
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