官僚出身の宮沢喜一首相(当時)の置き土産に碌なものはないが、その中でも妄想上の産物にしか過ぎない “従軍”慰安婦問題は最悪の置き土産であろう。現在では朝日新聞ですら捏造を認めざるえなくなったヤカラの為の妄想上の問題とはいえ我國が負った傷は深い。この傷を修復させる方策はあるのか?
 慰安婦と称された人達は確かに居た。敵軍に包囲された一部の陣では命懸けで傷病兵の手当てをするなど兵隊さんと共に戦い、共に玉砕した日本人慰安婦の人達もいた。朝鮮人慰安婦も兵隊さんにとっては安らぎを与えてくれる存在であったと聞く。そこらで援交と称して遊ぶ金欲しさに売春をしているバカ女とは全く違う、國の為に戦う兵隊さんを支えた存在、あえて言うなら兵隊さんと共に戦った存在なのだ。そんな彼女達を「追軍売春婦」などと呼ばれるようにして不当に貶め、我國を傷つける「従軍慰安婦問題」という問題は一刻は早く叩き潰さねばならない。


従軍(?)慰安婦問題、四つの視点

片岡 洋二 

 今年度から使用される中学校歴史教科書にいよいよ従軍(?)慰安婦に関する記述が掲載されることになるが、これに対し自民党の板垣正氏は、昨年十二月十一日の参院予算委員会において教科書会社に訂正の申請を勧告するよう迫り、また藤岡信勝東大教授らの呼びかけで「新しい歴史教科書をつくる会」が昨年十二月上旬に結成されるなど、歴史教科書是正を求める動きが各地で起こり始めている。ところが問題は、従軍(?)慰安婦問題だけにあるのではなく、中学校の歴史教科書そのものにあるのであって(特に近現代史の個所においては自虐的な記述が多くみられる)、これをこのまま放置しておけば、将来かならず自国に誇りを持たず、国を愛するなどということを全く考えないような国民が多数輩出することは誰の目から見ても明らかであり、これはまさに亡国というべきものであってこれを拱手傍観しておくことはとうてい許されない。
 先月、橋本龍太郎首相のお膝元の岡山の市議会で慰安婦の記述撤回決議案が採択されたというが、我々もこれと同様の運動をこれから展開していく必要があるのではあるまいか。そのためにはまず従軍(?)慰安婦に対する考えを整理しておく必要があると思われるので、ここで慰安婦問題を四つの視点にしぼって管見を述べさせていただきたいと思う。

 l、人間の恥部を見つめる

 ここ何年かの間、従軍(?)慰安婦問題がマスコミでも大きく取り上げられ、日本は窮地に追い込まれた感があるが、それは、韓国やフィリピンなどの外国から慰安婦という人間にとって触れられたくない問題に関して、非難を浴びたからに他ならない。
 ところで、今日慰安婦などというものに対して肯定的な考えを持つ人はまずないといってよいであろう。それ故、慰安婦の問題が議論され始めると、誰もが無条件にそのようなものは好ましくないものだと否定的な反応を示してしまうことも無理からぬことである。しかし、それはあくまで感情論に基づくものであり、現実を見据えた理性的な議論によって得られた結論であるとは言いがたい。そのような感情論に基づいて慰安婦の問題を処理することは、問題の本質を明らかにするどころか、本質を眩まし、我が国を危殆に瀕せしむることになるのであるから、より冷静に、いや冷徹に人間の恥部、闇部を勇気をもってのぞき見ることによって、この慰安婦問題を解決して行く必要があるといえる。
 慰安婦問題がマスコミを賑わし、多くの日本人が慰安婦の存在を知るようになると、ほとんどの人は、日本軍は他国に侵略しただけではなく、慰安婦を強制的に連行するなどという悪事を働いていたのかと思い、日本軍全体が悪の権化であるかのごとく錯覚してしまったのではないかと思われる。しかし、問題はそのように単純なものなのであろうか。当時は、まだ公娼制度があり、決して慰安婦そのものが悪いものだとは考えられていなかったということを知らねばならない。すなわち現代人の価値観で過去を裁いてはならないということである。慰安婦を問題視する人々は、現代から過去を裁くという過ちをおかしているのではないだろうか。江戸時代には吉原などに廓というものがあって、男はまさに女を買っていたのであり、その当時の人は、そのこと自体誉められるべきこととは誰も考えていたわけではないだろうが、決してこれを問題にしたこともなければ、倫理的に批判したこともなかったのではないだろうか。それはその当時の人たちの倫理観が未発達であったからであるといえばそれまでだが、現代人の倫理観が当時の人々に比べて優れていると誰が言えるのであろうか。
 慰安婦は当時公的に認められていたのであるから、慰安婦そのものの存在を現代人は非難できるはずもないのであるが、慰安婦そのものの存在を否定したがる人々もいると思われるので、少し戦場における人間心理というものから慰安婦というものを考えてみたいと思う。
 そもそも、戦争行為そのものが人間から人間性を奪うものであり、戦場においては、人間精神の奥底に蟠踞している獣性が露になってくるということは、戦争経験のない者にも容易に想像されることである。すなわち戦場においては、敵を殲滅することが第一の目的であり、否応なく人を殺さなければならないのであるが、そのためには自分が生き残らねばならず、自分の命を第一とせねばならないのであるから、日常生活においては顕在化していなかった生存本能というものが突如として表面に現れ出で、食べるということや、寝るというような人間にとつて根源的な欲求を満たすことが人間活動の最も大切なものであると考えられるようになるのである。
 この生存欲と同じく、戦場にあっては人間のもう一つの根源欲ともいうべき性欲が露になることも確かである。フロイトの言うように性欲というのは、日常生活においては、恥や道徳心というものによって抑制されているものであるが、戦場においては、自我を覆っていた恥や道徳心というものの覆いがなくなり、性欲そのものが露出してくる。それは「旅の恥はかき捨て」という言葉があるように、旅に出れば誰もが少しは恥を忘れてしまう。すなわち人間は違った環境のもとにおかれれば、従来自己を律する役割を果たしていた恥や道徳心から解放され、無規律な行動をとる傾向があることからして、このことは容易に想像できる。戦場においては、この恥や道徳心が希薄になり、いっきに性欲が解放されるのであるから、敵が殲滅され、敵側の町や村が攻略された場合、その場に敵側の女性がいたならば、その女性達が強姦と凌辱の対象となることは必定といっても過言ではないのである。
 もちろん、強姦というのは、兵士の性欲のはけ口としてだけからではなく、敵を徹底的に痛めつけ、征服するという意味が込められて行われるのである。すなわち強姦は、敵を殲滅し、征服することの象徴ともいえるのである。これは敵側の女性と交わることによって、子供を孕ませ、敵側の国民なり民族なりを血統という観点からも根絶してしまおうとする人間の支配欲という本能から行われることであると考えられる。だから戦争においては、敵を殲滅するだけではなく、敵側の女性を強姦し、凌辱するということは絶対に避けられないことであるといってよい。ごく最近のユーゴスラビアにおける内紛においても、何万もの女性が犠牲になったといわれていることからもこのことは理解されるであろう。
 戦争というものは、殺戮だけではなく、強姦や凌辱という悲劇をも人間にもたらすものなのである。これこそ戦争というものの実体であり、殺戮と強姦というものは不可分に結びついているといっても過言ではない。このような悲劇を生み出す戦争というものの真の姿を熟知していたがゆえに、各国の軍隊は常に戦場に慰安所を設けることを認めてきたのである。すなわち慰安所の設置は、戦争における悲劇をできるだけ軽減するための措置であったということができ、皮肉な言い方ではあるが、より人間的な行為であるということすらできるのではないかと思われる。

 二、憐憫という感情が慰安婦問題解決の妨げとなる

 慰安婦と聞いただけで、誰もが彼女らは可哀想であり、気の毒であると思うのが一般的であろう。慰安婦問題を世界に訴えようとしている人たちもまた、多くが女性であり、彼女らは、同性としてまず慰安婦に対して可哀想であるという同情の念から、そしてまた慰安婦たちの人権を守ってやらなければならないという正義感から、日本政府を告発するようになったと考えられる。
 確かに、このような同情心や正義感は、『孟子』梁恵王章句上における憐憫の情に通ずるものであり、人間である限り誰もが生まれながらにして持っている感情、また持つべき感情であると考えられるのであるが、この憐憫の情のみによって現実を捉えるならば、現実はその実の姿を決して我々の前に現わしはしないであろう。憐憫という感情は、人間にとつて必要欠くべからざるものであるが、盲目的に働くことがあるが故に、人をして物事の判断を狂わせることがあることを知らねばならない。
 慰安婦という仕事につかざるをえなかった女性は、可哀想であるの一言に尽きるのであるが、しかし彼女らのすべてが純情で、潔癖で、何の欲得もなく、ただ強制されてこのような仕事につかされたといえるのであろうか。この当時の時代状況を考えなければ、可哀想であるという思いは、現実味をもたないものとなるのではないだろうか。当時の日本は今日のように豊かではなかった。というより貧困であったといったほうが当時の時代状況を適切に言い表しているといっていいだろう。農村では娘を身売りしなければ、家族の者たちが生きていけなかった人たちも多くいたのである。そのため娘たちは、泣く泣くそのような仕事につかなければならなかったのであり、また彼女らの中には、都会へ出て働けば、椅麗な着物が着れる、旨いものが食えるということで、喜んでというわけにはいかなかったとしても、進んでそのような職に就いた者もいたのである。日本においてもこのような状態にあったのであるから、朝鮮においては事態はもっと深刻であったと思われる。それ故、その数は明らかでないにしても、相当数の朝鮮の女性が慰安婦として嫌々ながらも働かなければならなかったということは確かであろう。
 貧困が彼女らをこのような職業に駆り立てたことは否定できないことであり、その意味では彼女らはまさにこのような時代の被害者であったといえる。だからこそ、彼女らは救済されねばならないと考えるのも無理はないといえる。しかし、彼女らをこのような仕事に駆り立てたのは、ただ単に貧困ばかりであったのであろうか。貧困ということが大きな要因であったのであろうが、慰安婦という仕事に大きなメリットがあったからこそ彼女らはこのような職業についたことも否定できないであろう。すなわち慰安婦には、それ相当の給料が支払われていたということである。このことを等閑に付して、慰安婦の問題を論議することは本末転倒というべきではあるまいか。今も昔も、売春というのは、労せずして多額の金銭を手に入れることのできる最も効率の良い職業なのである。それゆえ売春は、人類史上最も古い職業であり、売春のない時代、社会は存在しなかったとさえいわれている。だから売春という職業は、今日まで存続しているのであり、強制的に行われていたのならば、かくも長く存続することはなかったであろう。売春をする方も、それなりの利益を期待し、彼女らも自由意志によってこの職業を選択したのであるからこそ、この職業は決してなくなりはしないのである。今日、援助交際ということが世間で話題になっているが、このようなことが成り立つのは、労せずして金が手に入るという現実があるからであって、彼女らは強制的にかくなることをやらされているのではなく、彼女ら自らの自由意志によって行っているからである。
 当時の慰安婦を今日の女高生と同列に語るわけにはいかないが、彼女らには高額の給料が支払われていたのであり、彼女らはそれを目的として働いたことを誰も否定できないであろう。だから強制的にそのような仕事につかされたのだということは俄かに信じがたいがたいことなのである。確かに、何人かはそのような人もいたかもしれない。そして、そのような人が謝罪を求めているのかもしれない。しかし、そのような人はごくまれであったのではないだろうか。もしも、すべての女性が強制的に働かされていたのなら、もっと多くの人、何百、何千の人が訴え出てきてもよさそうなものであるが、その数がごく少数
であるのはどうしてなのであろうか。自分の自由意志によってそのような職業についたのであるから、到底恥ずかしくて出てこれないというのが真相ではないか。もしも、強制的であったというなら、それは自分の意志ではどうすることもできなかったということであり、恥じる必要もないことであるから、真実を明らかにするという意味からも正々堂々と公の前に出てくればいいのである。インドネシアにおいて慰安婦にされたオランダ人女性は、終戦後ただちに訴え出て、その結果彼女らを強制連行した日本軍人は、裁判にかけられ、処罰されている。
 慰安婦が高額の報酬を得ていたことに思い至らず、すべての慰安婦が強制的に働かされていたと主張することは、真実を我々の目から逸らし、虚偽を世間に流布することとなるのである。今日の社会を見ても、どれだけ多くの風俗産業が殷盛を極めていることか、そしてそこで働く多くの女性がどれほど莫大な利益を得ていることか、慰安婦に同情を寄せる憐れみ深き、正義感に燃えた、清らかな女性たちには、このような所で働くしたたかな女性の実態はご存じないのかもしれない。自分が美しい心、清らかな心を持っているから、すべての女性も自分たちと同じであろう、金のために売春などということをする女性などはこの世にはいないと考えているのかもしれない。
 このようなしたたかな女性はいつの世にも、いかなる場所にでもいるものであって、おそらく彼女らは慰安婦問題を論う女性をせせら笑っていることであろう。もちろん、このような憐憫の情厚き、心清らかな女性こそ、女性として本来あるべき姿を代表しているのであろうが、彼女らは現実の醜悪なる姿を見抜くことができないために誤った考えを抱き、その結果国益を損ねるという重大な過ちを犯すことになるのである。
 また、慰安婦問題を考えるに際して、忘れてはならないのは、慰安婦に仕事をさせていた女衒の存在である。女衒というのは、慰安婦を使って、できるだけ多くの金を稼ごうとする者達のことであり、彼らこそ慰安婦を騙し、強制的に働かせていた連中ではないか。彼らの証言こそが慰安婦の真実を明らかにするのではないだろうか。彼らの存在が、マスコミにおいて取り上げられないのは不思議というほかない。マスコミは、元朝鮮人慰安婦だったという人の証言ばかりに耳を貸すのではなく、これら女衒だった人たちを探しだし、彼らから証言を得る努力をする必要があるのではないか。

 三、朝鮮人の怨念

 戦争が終わって既に五十年以上が経過した。なぜ、五十年以上も前の慰安婦の問題が突如としてクローズアップされるようになったのか。そのこと自体不思議なことではないか。戦後、朝鮮人の対日感情は悪くなりこそすれ、良くなったことはない。だから慰安婦がそれほど悪いことであるなら、戦後すぐ問題にされてしかるべきではなかったか。その意味で、戦後五十年近くになって、この間題が浮上してきたこと自体に、慰安婦という倫理上の問題よりも、政治上の好計が背後に潜んでいるとみなさねばならないと思う。
 日本と韓国との間の戦後処理は、日韓基本条約において決着をみた。すなわち、日本が韓国に対して莫大な国家賠償を行うことによって、両国間の戦後補償問題に終止符が打たれたのである。この日韓基本条約締結にあたって、両国間に難問が控えていたのであるが、その時ですら慰安婦の問題は俎上に上がらなかった。にもかかわらず、今頃になって、なぜ慰安婦問題が取りざたされるようになったのか。
 韓国の金泳三大統領は、昨年のAPECのため来日の際、「日本側の歴史認識を正す」と言って、日本に乗り込んできたが、それは韓国人全体が抱いている「克日」感情の表明だったといえる。今日の韓国の国家目標は、「日本に追いつき、追い越す」ということであり、そのためにはあらゆる手段を使っても、あらゆる局面においても、日本に打ち勝つことが韓国人にとつて至上命令となっているのである。だから慰安婦の問題は、日本を打倒するための格好の材料であり、韓国人にとつては事実がどうであったかということは問題ではないのであり、要は元慰安婦だったという人たちを引っばり出して、日本に赴かせ、彼女らが戦争中いかに悲惨な目に遭ったかということを公の場で訴えさせ、日本政府に謝罪させ、賠償させることが韓国にとつて最大の目的なのである。もちろん、朝鮮人の恨みはこのことによっては晴らされることはない。たとえこの間題に決着がついたとしても、次にかならず新たな問題が生じるのは必定である。
 すなわち朝鮮人の言動の背後には、日本人に対する深い怨念が潜んでいるのであり、それは決して倫理上の問題や歴史的事実の問題ではなく、感情の問題であるから、問題解決はほど遠いといわねばならない。その証拠に日韓の間での共同の歴史研究がすでに暗礁に乗り上げていることからしてもこのことは明らかである。韓国は、被害者であるという立場を逆手にとって、自分たちの歴史認識を正しいものとして、日本の立場を一切認めようとしないのであるから、慰安婦の強制連行がなかったと日本側がいくら主張してもそれを認めることはないであろう。

 四、自民党の社会党化

 慰安婦問題が容易に解決できないのは、我が国にもその原因の一端があることを認めなければならない。すなわち我が国に慰安婦の強制連行はあったとする政治家や知識人が少なからずいるということである。特に政府を担う自民党のなかにそのような勢力がいるという事実は、この間題を解決する上で致命傷となっているといってよい。本来ならば自民党は、毅然とした態度で、慰安婦のような問題は解決済みとして突っぱねるべきなのであるが、もはや今日の自民党はそのようなことができるほど足腰のしっかりした政党ではなくなってしまっている。
 平成六年自民党と社会党とさきがけによる連立政権ができ、主義、主張の全く異なる政党がくつついたのだから世間では野合とまで言われ、世間に政治不信の風潮を生むきっかけを作ったのであるが、社会党が自衛隊、君が代、原発を容認するに至ったことは、連立にも意味があったと思わせたことも確かである。しかし、このように社会党が自民党化したのとは反対に、自民党が社会党化してしまったことを見逃すわけにはいかない。すなわち、自民党は社会党に自衛隊、君が代、原発を認めさせた代わりに、社会党の主張する不戦決議、中学校歴史教科書への従軍慰安婦の記載を認めさせられてしまったのである。特に、教科書問題は将来の日本に禍根を残す重大な問題であり、決して容認してはならない問題にもかかわらず、自民党は社会党の言いなりになってしまった。これに対し今年度から使用される中学校歴史教科書からこの記述を削除せよという要求が出されたが、文部大臣は平成五年の政府見解を盾にこの要求を却下した。これによってもはや教科書から慰安婦の記述は削除されないことになり、日本人は過去にこのような悪いことをした、このように卑猥なことをしていたということが将来の長きに亘って語り伝えられることになるであろう。
 今からでも遅くはない。今後我々は、中学校の歴史教科書から自虐史観を払拭するよう、政府に働きかける運動を展開しなければならない。

民族戦線 平成九年二月七日(第69号)より