皇室典範改正問題を悪用する「反日右翼」
村上 学
ここで「反日右翼」という激しい言葉を使う理由を説明しておくが、これは普段は愛国者の顔をして集会などに参加し、署名活動や講演会などにも積極的に参加しながらも、大陸や半島と良からぬ関係を持ち、また特定の良からぬ宗教団体と関係を持つ者を指している。彼ら(彼女ら)は、直接・間接の指示や命令によって平気で祖国を裏切って、利敵行為を「これが正しい愛国心だ」「この理論に反対する者は非国民だ」と強引に押し付ける。「反日右翼」は声が大きいのも特徴であり、同類が相互援助しているのも特徴である。それが「誰々」を指すのかは、言わない。
さて、小泉政権末期に突如として降って湧いた「皇室典範」の改正問題であるが、これは日本国憲法改正問題と歩調を揃えて堂々と国会の委員会で「責任ある国会議員」が話し合わねばならなかった問題である。国会議員の場合は、どれほどバカでも無責任な社会主義者であっても直接選挙で選ばれた者である以上、法治国家の我が国においては国家の重要事項を審議し決定する権利を持っている。これは、いくら立派でも民間人であればその権利を有していないことの裏返しであるが、法治国家である以上しかたない事もある。
ところが現実には、皇室典範改正点を議論しているメンバーは単なる民間人学者たちである。臣下の分際という言い方もあろうが、もしかすると、国会議員が直接責任を負うことに耐えられないので「ダミー」に議論させていたのかもしれない。いずれにしても、そのような「偉い人は誰も責任を取らない日本国」においては、最も触れにくい部分を誰に指摘させるかという「ババ抜き」も当然あるだろう。逆に言えば、そこを反対勢力が利用して、先に議論点をアピールして世論を引っ掻き回す戦術が取りやすくなることになる。
「先んずれば人を制す」の言葉通り、先に無茶な論点を主張すると、それに対して訂正や論駁をする声を「我々愛国者の声を潰すのか」とエキセントリックに叫んで徹底排除し、(反日運動・利敵連動を)守りに入ることで「正論を訴える国民の小さな声が集まって」などと歯の浮くような詐欺言葉で自陣営に世論を引き込むのである。
小泉政権と歩調を揃えて「相互利用」していた全国組織が、ある日突然に「反小泉」に看板を掛け替えて、反小泉の政治家と小泉チルドレンの政治家を担いで「皇室典範改正問題で女系容認したことは皇室崩壊になる」などと、決して口にしてはならないと思われる言葉を堂々とスローガンにする始末である。
天皇を「国民が選ぶ」と考えている民主的な愛国者はいないだろう。天皇の血液検査をして遺伝子DNAを調査してからでなければ認めないと考えている科学的な愛国者もいないだろう。いずれにしても、臣下の分際で、畏れ多くも「天皇を認める」などと発言をする者を認める訳には行かない。
愛国者の顔をした「反日右翼」は、良く観察していれば必ず「天皇は男系男子でなければ認めない」と発言する。また最近では、「女系容認すれば正田王朝や小和田王朝が誕生し皇統断絶する」と発言することが多くなっている。これらは何を表しているかを考えると興味深い。そうです、共産主義者がロマノフ王朝をはじめとするヨーロッパ王室を、住民を扇動して間違った「愛国心の包装紙に包まれた国家破壊主義」のプロパガンダで引っ掻き回し、とうとう収集がつかなくなって公共の治安も社会の安定も無くなり、共産主義者がクーデターを起こす地ならしができた前世紀のプロパガンダと驚くはど似ているのです。
もしかすれば、今回の反日右翼たちを使ってプロパガンダしているのも21世紀コミンテルン(ソ連崩壊後は北京が中央権力)である可能性が高いのではないか。
反日右翼は大陸・半島・特定宗教団体と直接・間接につながっているが、本人がそれを全く自覚していないことも多い。単に金銭的支援をしている所から、そのような論調を指導されている場合もあるようだ。「悪意無き反日」であっても、それが世論に与える影響を考えれば恐ろしい。逆に確信犯たちは、それを暴露されることを死ぬほど恐れている。
我々は少なくとも、真実の歴史は、学校で教わったような生易しいもので無いことは直感として理解している。万世一系が何を指して言われた明治言葉なのかも知っている。奇麗事ばかり言うつもりはないが、だからと言って、反日右翼の主張に与するような国賊・非国民になろうとは思わない。
古事記を読んだことのある現代人が驚くほど少ないことは確かだが、それでも、神武天皇が登場する前の「古事記上巻」の内容ぐらいは把握した上で、皇室典範問題を語るべきかもしれない。
古事記上巻を読み進めば、火遠理命(ホオリノミコト、山幸彦)が大綿津見神(オオワタツミノカミ、海底に住む海の神)の長女の豊玉毘売(トヨタマヒメ、古事記にはワニつまり鮫だと書いてある)と結婚して長男の鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)が誕生し、その子は、母親の妹(自分の叔母)である玉依毘売(タマヨリヒメ)と結婚し4人の男子が誕生したことが分かる。この4人の男子の末っ子の若御毛沼命(ワカミケヌノミコト)が後に神倭伊波礼毘古命(カンヤマトイワレヒコノミコト)となって、九州から国の最中である大和へ向かうことが「神武東征」なのである。良く考えて頂きたい。我々は古事記の内容を決して疑ってはならない立場にいる者であるから、その内容を疑うことは自己否定を意味している。
系統的に言えば、神武天皇の母親は「ワニ」であり、父親は「ワニと神のハーフ」であり、祖母もまた「ワニ」である。つまり現在、反日右翼が声高に叫んでいる遺伝子DNAの話をすると、畏れ多いことだが、「神武天皇のDNAには海の生物(たとえ神であっても)の血が入っている」ことになる。それだから良いとも悪いとも古事記は触れていない。いや、一切そんなことは問題とは考えられていないのである。
「神武天皇のDNAを直接一系として受け継ぐ男子でなければならない。これは]遺伝子とY遺伝子を調べれば分かることであり、科学的に神武天皇の直系男子が今上天皇だということは証明されている」という気絶しそうな論文を雑誌で読んだ記憶があるが、そう語る学者や宗教家は、いずれ責任を取る日が来るだろう。
神武天皇から、仮に二千六百六十六年だとした場合に、何故にそれほど続いたのか。唯物主義者的な言い方をすれば、「民にとって何の不都合も無かったからだ」ということになろう。熱烈な愛国者的には、「天照大神の神勅が守り通されたから、天皇はいつの時にも民と共にあったのだ」ということになろう。立場は違っても、天皇が正しい存在であり続けたことこそ、日本の背骨となるものである。
天照大神が天降る皇孫に与えた言葉である「御鏡の詔勅」「稲穂の詔勅」「天壌無窮の詔勅」を神勅と申し上げ、これを代々受け継ぐお方が天皇なのである。そのための最も重要な、一世一代の儀式こそ「大嘗祭」である。
日本が日本である証明、天皇が天皇である証明、君が民と共にある証明こそが「天照大神の神勅」であろう。その「神勅」を否定することも疑うことも、許されることのできない大罪であるという。
明治維新直前の黒船騒動に端を発した「開国思想」は、それを説いた吉田松陰の門下に維新の志士たち英才・俊才が多く集った関係で世論をリードした。「このままでは日本は危ない!」と語り続けた松陰は、刀を海岸に投げ捨てて黒船乗船を企てて逮捕されたこともあった。
その松陰が安政の大獄にあって、その身を長州野山獄から藤丸籠で江戸に送られた時、死んではならないはずの越前の橋本左内が獄門になったことを知る。松陰は我が一生を振り返り、「神勅に相違なければ日本いまだ滅びず、日本いまだ滅びざれば正気重ねて発生の時必ずあるなり」という心境に至る。もしかすると、松陰は自身が獄門になると分かった時に初めて、天照大神を、天皇を、「有り難き」と拝んだのかもしれない。
我々は今こそ、反日右翼の扇動に乗ることなく、天照大神の神勅を噛み締める時ではないだろうか。悪意無き反日運動参加者を一日も早く、反日運動から離脱して正統日本人の運動に回帰させるためにも、我々の根拠である「古事記」を正しく教えたいものである。
以上
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