「月刊中国」の資料提供による、健康被害に遭わない為の中国特集13
「煙霧」という言葉がある。6月26日は遠くを見ると霧がかかったような天気であったが、この霞んだような状態にしている霧のような物が煙霧だ。
問題はこの日の気圧配置と風向である。西の高気圧、そして西風。この西風に乗ってやってきた煙霧は支那からのスモッグ、化学汚染大気そのものであり、我國は4月2日の毒黄砂に負けず劣らぬ公害被害に襲われたのである。
全ての中心は漢民族であり、それ以外の周辺民族は禽獣である。真ん中の華、それが中華思想である事は誰でも知っている事であり、中華思想という傲慢な思想の元では周辺諸外国にいくら公害被害を出しても問題はない。もし問題があるとすれば公害で迷惑している國が支那様に文句を言う事である、と考える。
支那人にはこの思想が個人レベルでも根付いている。自分が良ければそれが全てであり他の人はどうでも良いという事である。一般的には個人主義とか利己主義というものがそうであるが、これを商売に活かすと人身売買なども平気で行える。
◆「人身売買」は毛沢東以来の中国の産業か
2003年のタイム試では、この20年間に中国では男女の比率が甚だしく崩れていることが報道された。WHOの調査では現状、女性が5千万人不足しており、農村のある地域では「いとこ同士」、はなはだしきは「実の兄妹」による結婚が広がっている。その結果、先天性障害児が大量に出現している。
政府の規定に従えば、農村の家庭では最初の子供が女の子であった場合に限って2人目を産んでも良いことになっている。農村では、男の子は農作業ができるので家庭への貢献が大きく、そのために男の子をほしがるのだ。多くの家庭では、女の子の胎児を堕胎したり、女の子の嬰児を殺したり、あるいは女の子を虐待死させたりする。
一人っ子政策が始まった頃に出生した子供は、現在結婚適齢期に達しているが、男性の数が女性の数に比較して異常に多すぎる。急いで結婚したがる男性は、親戚の女性と結婚する以外にない。ある地域ではこの現象が広がり、村全体が「近親相姦村」と呼ばれている。
延安市の路上で遺棄されていた重度身障児の女の子の嬰児は、調査によって、実の兄と妹との間に産まれた赤ちゃんだということが判明したという。
例えばパキスタンやインドネシアの一部では、近親結婚が奨励されている場合がある。理由は、相手のことが良く分かっているし、財産がある場合は分けやすいということが挙げられる。しかし、一般的には近親結婚は社会的欠陥と見られている。
ただし、人口が増え続ける中国では、近親結婚は選択の問題ではなく生存に関わる問題となっている。中国では、いよいよ深刻な花嫁不足に直面しているのだ。
アジアウイークリー誌によれば、中国がここ20年近く、計画出産政策を厳格に実施してきたことにより、すでに男女の比率が甚だしく崩れ、計画出産とそれによる女の子の流産などが原因で、すでに中国では女の子の数が男の子に比較して5千万人少なくなっている。
中国では通常、男の子は女の子より役に立つとみなされている。中国で最も貧困な山村では、何人家族かと尋ねられた時に、父親は女の子を家族の人数に加えないということが多い。ある男性は、「元気な男の子が2人います、それからロバが2頭、豚が1頭、女の子が1人」と答えた。
国連北京駐在係官は、「中国の問題は今や恐るべきものになっている。肝心なのは今後で、計画出産政策で産まれた人たちが結婚適齢期になった時、中国の問題が本当に始まるのです」と語っている。
◆子供も労働者として売り飛ばす
13億人の中国では、9億人以上が農村に住む。農村の40%以上が電気・水道・ガスのない貧困地区である。貧困が原因で学校に行けない就学年齢の子供だけで4千万人いる。
2004年6月のアメリカの報道では、「国際労働組合組織が最近発表した報告では、児童労働者に重労働させる状況はアジアが世界一ひどい。現在では1千万人以上の子供が無理やり重労働させられている」ということだ。
中国の児童労働者は、1980年代の改革開放政策以来ますます多くなっている。政府系の報道によっても、中国全国を流動している人口は約1億5千万人おり、その中の未成年者は約2千万人だということが発表されている。中国青年報には、流動している人口の中の児童を調査した結果報告が発表されているが、12歳〜14歳の60%以上が小学校に入ることができなかったといい、その数は8百万人いるという。
2004年7月の大紀元には、中国政府は2008年オリンピックのためにピカピカの北京城を作りたいとして、豊台区の辺りに数千人の児童労働者を毎日17時間ほど働かせて、支払う貸金は日給3元であると書かれている。
太陽報の7月報道にも、1999年から無許可の中小企業が北京市豊台区に数百軒できており、浙江省一帯の縫製工場の下帯けをしている。コストダウンを図るために、労働者はすべて子供である。月給は100元未満で、最年少は10歳であるという。
2003年には武漢市で、児童労働者の女児が高熱を出しながら毎日16時間も働かされて死亡した事件があり、政府当局が調査した結果、ここに大規模な「闇の児童労働者売買管理組織」があることを掴んだ。
児童労働者に厳しい重労働をさせる経営者を批判的に見ているが、実は、はとんどの親たちが進んで自分の子供を経営者の所へ売りにくるという。親たちは一様に、「家が貧乏で仕方がない」と答えている。
中国では9億人の農民は、食べるだけで精一杯である。都市では2千万人以上の失業者の生活も、6千万人以上の身障者の生活も保証できない社会状況にある。約2億人の貧困生括層の中には、約3千万人の極貧層がいる。彼らの生命は誰も顧みない。
「食べるためなら何でもする」−これが中国人の実態である。
◆「一人っ子政策」が嬰児売買を助長している
1970年代初めに、政府は「一人っ子政策」を実施した。一組の夫婦からは一人の子供しか産んではならないというのだ。80年代には男女比率が崩れ始めた。90年代になると、子供を含めた人身売買が盛んになり始めた。中国とベトナム国境で嬰児を販売する定期市場があり、ここが最大の闇売買組織だと言われている。
ここでは現代的にインターネットを使って、全国に連絡できる態勢をとっている。その中のある集団は、5年間に5千人の嬰児を販売したという。この集団の仲買人が、まず妊婦を運ぶ。そして産まれたばかりの嬰児を買い取ってくる。時間がたって情が移ると困るので、これらの嬰児は集められて臨時養育所に置かれる。そして20〜30人という注文の数が揃えば、全部まとめて人身売買専門市場に連れて行くという。その嬰児たちを市場で販売する時にはベテランの買い手が値段を決める。警察に逮捕された一人の嬰児販売人は、「時代雑誌」の取材に次のように答えている。「うちの集団の者が女の嬰児を180ドルで買い、男の嬰児も290ドルで買った。その日の夜中に、他所の省へ運ばれて行く。最終的にこれらの嬰児は、広東、福建、雲南などの嬰児販売所に連れて行く。雲南での販売価格は、嬰児一人500ドルである。嬰児を売り渡す母親は、共産党の一人っ子政策に違反して二人目を妊娠してしまい、産んだのがばれたら400ドルの罰金を払わねばならない、それなら売る方が金になる」。
計画出産を指導する共産党幹部は、実は現地の女性を助けるために嬰児売買を一緒になって実行していたのだ。子供の売買は、「十代になれば工事現場に売って重労働をさせる。少女は爺さんに愛人として売り、売春させる」のである。
雲南とベトナム国境の山岳地帯の人身売買市場はインターネットを駆使して、過去7年間に少なくとも2千人の嬰児や子供を売り飛ばしている。ここの市場の中は「鶏衛」「牛街」「猪街」などと呼ばれている。市場では、鼻が高く耳の大きい嬰児が高値で売られ、目の小さく肌の黒い嬰児が安値で売られている。
逮捕された一人は、180ドルと290ドルで買った嬰児を母親に抱かせて、夜中にトラックで運ぶのだという。運が良ければ、雲南警察の検問を避けて通り、広西に着いたらスピードを上げる。広東や福建の経済発展都市で、一人平均500ドルで売る。
2004年7月の大紀元報道では、中国公安部が内蒙古にある嬰児販売組織を壊滅させ、8人を逮捕し95人を内蒙古で拘留中だという。ここで売られた76人の嬰児は、産まれてから5日目や2時間しかたっていないものもいた。嬰児は女の子が多く、ほとんどは個人病院から買ってきたもので、母親ははとんどが失業者か未婚者だった。
2002年には、毛沢東の故郷である湖南省長砂市の町角に、公然と子供を売る母親が現れたという。子供を抱いた母親が「誰か子供を買わないか」と声をかけていた。「一人いくらか」と尋ねたら、「女の子は2万元、男の子は5万元」と答えた。この地方では、女の子を産むと白い目で見られる。だから女の赤ちゃんは捨てられたり売られたりするのだ。
◆「胎児売ります」の広告も
2004年7月の大紀元報道によると、7月21日に河南省鄭州で生括に困った女性が、まだ産まれていない赤ちゃんを売り出す広告を出したという。
鄭州の花園路の電柱に「胎児売ります」という広告の紙が張り出された。広告には、「生活困難のためにおなかの赤ちゃんを売りたいので、経済的に豊かで家庭が円満で、子供に良好な生活環境を与えてくれる買い主を探している。金額は、出産費用として8千元支払ってほしい」と書かれていた。この売り主は22歳で妊娠6ケ月、男にだまされたが人工流産する勇気もなかったそうである。
胎児の売買は刑法違反だが、扶養できないという理由であれば出産後に「養子」という手続きの下に赤ちゃんを売ることはできる。
いずれにしても「胎児売ります」というのが、「嬰児スープ」の闇ブローカーに利用されないだけでも安心する。
◆広東で食べられている「人間の赤ちゃんスープ」
2003年6月の半月文摘が報道した所では、3月22日に広西壮族自治区の玉林から安徽省の毫県に向かっていた寝台大型バスが途中の濱陽料金所で警察に止められ、車内から旅行バッグに入れられて密かに運ばれてきた嬰児28人が発見された。これらの嬰児はすぐに救出されたが、全員が女の嬰児で生後3ケ月にも満たないものだった。一人の嬰児はすぐに死んだが、残りの27人の健康状態は今の所安定している。しかし3月30日現在、引き取りにきた家族は誰もいない。
この28人の嬰児は生きたままナイロンの旅行バッグに詰め込まれ、バスの車内に放置されていた。長時間バスに揺られた上に、その夜は急に冷え込んだため、いつ何時思わぬ事態が発生してもおかしくない状況だった。幸い病院で応急手当を受けた後は健康状態は比較的安定している。
この事件の容疑者は、荷物同様にバスに積み込んだ嬰児たちが泣くことのないように薬物を服用させていたと見られる。
記者が広西高速道路管理支隊4大隊に問い合わせた所、3月17日の午後に民間人から通報を受けた時点では、嬰児売買に関わる車が現地を通過するとだけ聞いており、状況がそれほど深刻なものとは思わなかったという。3月22日の夜8時40分頃にその寝台大型バスが濱陽の料金所を通った時、防備の配備をとっていた警察により停車させられた。警察は網棚や簡易ベッド、そして後部座席に乗せられた旅行バッグや荷物の中から次々と嬰児を発見した。
ある警察官は、記者にこう言っている。嬰児が3人も4人も見つかった時には驚いた。これほどひどい状況だとは思ってもいなかった。子供達は一人ずつ隠されていたのではなく、バッグに何人かずつ詰め込まれていました。あの日は急に冷え込んで、嬰児の顔はどれも紫色をしていました。今の所、嬰児がどこへ運ばれる途中だったのか確かめる術がなく、またこれほどの数の嬰児をどうやって集めたのかも謎のままである。目下警察は詳しい調査をしている所である。
警察が発見したのは28人の女の嬰児だった。それも3ケ月に満たないような年齢の嬰児である。
中国の農村では、少なからぬ人が計画出産政策のために妊娠中絶手術を受けさせられる。その後、やはり男の子を育てたいと思えば、悪魔と契約を交わしたような人身売買業者に金を払って男の嬰児を買うことになる。そういう道理なら分かるが、女の嬰児を買って育てたいなどという人の話をこれまでに聞いたことがない。
2003年7月、香港の開放誌の敏腕記者が、この疑問に答えた。
東莞で工場を経営している王という名の台湾人商人は、嬰児のスープを飲みに行く常連客だと自慢しており、「産まれて数カ月の嬰児に、漢方薬の成分や鶏のガラを入れて8時間とろ火で煮たものを飲むと精がついて滋養にもいい」と言う。王は湖南省出身の19歳の愛人をぴったりと抱きかかえ、得意満面でこう続けた。「私は62歳だが、毎晩1回はセックスできるんだ。嬰児スープのお陰だよ」、記者が「まさか」という顔をしているのを見ると、王は記者を連れて「見に行こう」と自分から言い出した。
王は記者を連れて広東省仏山市に行き、嬰児のスープを飲ませるレストランに入った。すると、そのレストランでマネージャーをしている黎という男が驚くようなことを言い出した。「排骨(隠語で嬰児のこと)は上手くいかなくて品切れだよ。胎盤なら活きのいいのがあるよ。胎盤は冷凍ものはダメだ、新鮮なのが一番だ」。黎は我々にこう続けた、「本当にアレが食べたいのなら、他所からアルバイトにきている夫婦がいてね、妊娠8ケ月だ。これまでに産んだ2人の子供も女の子だったから、あと数日したら塩水で分娩を早めるから、もしまた女の子だったら食べられるよ」
記者はそれでも半信半疑だった。数週間取材をしたが、いずれも噂ばかりでこの目で実際に見たことはなかった。調査もこれまでかと思っていた数日後、王から電話がかかってきた。「ブツが入った。冷え込むから、友人たちが栄養をつけようと言っている」、王は記者を台山まで連れて行き、目指すレストランを捜し当てた。そこの責任者の高という男は、我々一行を厨房の「特別コーナー」に案内した。
そこにあった嬰児の遺体はとても小さく、猫の子ほどの大きさしかなかった。嬰児はまな板の上に横たわっていた。「5ケ月の嬰児だけど、ちょっと小さいな」と高は申し訳なさそうに言った。高はその女の嬰児の遺体は、高の友人が田舎で探してきたものだと言ったが、いくらで買ったのかは言おうとはしなかった。ただ、値段は嬰児が何カ月かによって、また嬰児の生死によって違うとだけ話した。
王はこのスープを一杯飲むのに3千5百元かかることは知っているが、その他の詳しいことは分からないと言った。
彼らのおしゃべりから分かったことは、流産したり堕胎したりした嬰児の死体の場合は、仲介業者が産婆に数百元の心付けを渡すだけだが、月が満ちてから流産させた胎児の場合は2千元の心付けを、その嬰児の両親に渡さねばならない。引き取って養育するという名目でそのようにするのである。嬰児がレストランに引き渡される時は、どれもすでに死亡しているものなので、それ以前の生死については分からないとのことだった。
その滋養スープだが、記者には味見する勇気がなかった。厨房でのことがあったので、どうしても物が喉を通らなかった。気分が悪いと偽ってその場を離れた。食べるのが女の嬰児ばかりというのは、一人っ子政策の弊害なのか。また中国人が滋養強壮の補給を好むという習性の故なのか。いずれにしても天罰が下る状況である。
寝台大型バスで発見された女の嬰児28人の袋詰めは、容疑者にとって、嬰児の生死は関係ないということを表している。容疑者がいくらで女の嬰児を買い集めたのか盗んだのかは知らないが、いずれにしても手放す時に金が稼げるのであろう。すると、嬰児が死んでいても利潤が生まれるというのは一体どんな状況だと言うのだろうか。
◆豚肉より儲かる嬰児の売買
中国では何でも売られているし何でも食べることができる。30年前の毛沢東時代には、労働者たちが資本家や地主の金持ちたちを捕まえて、その人間を料理して肉も骨も残らず食べることがよくあった。この人食い状況については、宋永毅の「文革大屠殺」に詳しく書かれている。
2002年の最新一代雑誌には、雲南省に嬰児販売の定期市場があると書かれている。ここで嬰児を販売している集団は、まず妊婦に目をつけて値段交渉する。産まれたらすぐに東部の沿海省や市に売られる。嬰児は一人5百ドルの高値で売れる。
嬰児を売る母親は殆どが生活が苦しいために嬰児を売っている。ある双子の嬰児を売った母親は、「豚を育てるのは時間もかかるし餌も必要だが、豚は売る時にあまり儲からない。しかし自分で妊娠したら、産まれるまでは9ケ月ほどで、餌もいらないしお金もかからないのに売る時にはよく儲かる」と言っている。
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