外国人の公務員就任権、参政権を考えてみよう
最近、「定住外国人に公務員就任権、参政権を認めるべきである」との主張をよく耳にする。
このような主張を行う人達が根拠とする所は所謂「基本的人権」であるが、はたして日本国憲法が日本国民に保証する「基本的人権」が日本国内に滞在する外国人にも及ぶものであるか否か今一度冷静に考える必要があると思われる。
そもそも「基本的人権」の発想は自然権思想を根拠としているが、この自然権思想の根源がキリスト教でありキリスト教的意味で言う創造主としての神ないしはその神の似姿としての人間理性の絶対性を前提としたものである。この自然権は飽くまでも思想であり、我々の生活を現実に支配している実定法上の根拠は持たないのである。
従って、この自然権が法的な意味での権利となるためには、実定法によって「実定法上の権利」として認められなければならない。これが日本国憲法第十一条であり、九十七条の人権の永久不可侵性である。又、基本的人権に対する包括的規定である十一条、十二条、十三条にはそれぞれ「この憲法が国民に保障する基本的人権は・・・・・現在及び将来の国民に与えられる」「この憲法が国民に保障する自由及び権利」「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については」として、この人権保証の対象が「国民」であることを明確にしている。さらに日本国憲法が日本国民を対象としたものであることは、憲法第三章「国民の権利及び義務」がその冒頭第十条に「日本国民たる用件は、法律でこれを定める」と規定している。従って日本国憲法が人権保障の対象としているのは日本国民であり、外国人までをも対象としているという解釈は出来ない。
ならば、外国人には一切の基本的人権が与えられていないのか、と言えば否と答えざる得ない。
マクリ−ン事件の最高裁判決では「基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、我が国に在留する外国人にも等しく及ぶ」としている。
では問題となっている公務員就任権、参政権はどのように解釈されるであろうか。
まず参政権であるが、これは十五条の冒頭に「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」としており参政権が日本国民のみに与えられた権利であることを明確に規定している。又、九十三条二項にいう「住民」とは十五条の規定から見ても当然に日本国民を前提とした文言であり、その地域における居住という事実をもって国民を特定したことにほかならない。
又、公務員就任権はどうであろうか。
従来自然権的人権とされてきた権利、例えば、自由権、平等権等は外国人にも一定の範囲内で認められると解されるが、社会権、参政権(公務員就任権を含む)のような、国家の存在を前提として認められる権利は外国人には及ばないものと解される。当然国家を構成する一員である地方自治体においてもしかりであり、憲法第二十二条の「職業選択の自由」を援用した外国人の公務員就任権は憲法上の権利として外国人にも保障された権利であるとは解されない。
では国際的にはどうであろうか、世界人権宣言二十一項「すべての人は、直接に又は自由に選出された代表を通じて、自国の政治に参与する権利を有する」同二項「すべて人は自国において等しく公務に就く権利を有する」とし、国際人権規約(B規約)二十五条(C)「一般的な平等条件の下で自国の公務に携わること」とし、いずれも「自国において」あるいは「自国の公務」と限定しており、決して「居住国の」とはしていない。従って国際的にも外国人の公務員就任権、参政権は認められていないと解される。
欧州においては一定の在留要件を満たす外国人に地方レベルの参政権を認める例が確かに存在するが、これら諸国の背景には移住労働者の定住化やEUに象徴される国家統合の進展という特有の歴史的、政治的事情が存在する。
共同労働市場を設立し、旅券の携帯を免除された加盟国の労働者が自由に往来し就業できる北欧諸国や、EU構成国の国籍保有者を同じ「共同市民」として扱い、一定レベルで歴史的、文化的そして慣習的にも共通性のある国々と我が国の事情は全く違い、同列に論じる事は到底出来ない。さらに外国籍を有する者は、多くの場合国籍国で参政権の行使の機会が留保されている場合が通常である。現に韓国、朝鮮籍を持つ者に本国の被選挙権を認めており、選挙で落選するまでは韓国の国会議員であった在日韓国人が存在し、又数人の朝鮮総連の幹部は我が国の国会議員にあたる朝鮮最高人民会議代議員を務めている。これらの者達はいずれも我が国の永住許可を得た定住外国人である。
祖国に忠誠を誓っている定住外国人が、本国の国会議員になり同時に日本の参政権(国政、地方自治選)と公務員就任権を有する事が果たして道理、法理に適うか、国益地方自治体の利益につながるか、国民一人一人の利益になるか。どのように考えても未来に禍根を残す事は明白である。
国家百年の大計は愚かで浅はかな感情論や外国(一切の外国人)勢力の不当な
る圧力に屈して歪められてはいけない。
今一度じっくり考えてみる必要があるのではないであろうか。 |