玉置一弥の時々刻々

新党の政権によって実現される国民の国家
〜政権交代のためのマニフェスト戦略〜

○新党の基本政策は旧民社党の主張と同じ
  民主党と自由党との合併にあたって、懸念されていることの一つに、政策の一致はあるのかということがあります。しかし、その心配は無用です。
 と言いますのは、かつて新進党を結成したとき、私たち旧民社党のメンバーが主体になって基本政策をつくったわけです。そして、自由党の人たちも、もとは同じ新進党だったわけです。その意味では、同じ土台の上に立った政党であり、政策の中身のついてはほとんど差がないのです。それに旧新進党とほとんど同じメンバーが中心となって合併問題が推進されましたので、あまり議論をしなくても、新党の基本政策については合意できました。
  ただ、民主党の場合は、左の人たちがおられますから、議論の過程において、そういう人たちに配慮した部分はあります。しかし、それは文書上には表れておりません。ですから、旧新進党の基本政策とほぼ同じであり、両党の間に食い違いはありません。
 旧新進党が解体された原因は、政策上の対立ではなくて、党運営上の手法の問題だったわけです。そのため、今回の合併にあたりまして、民主党内でいろいろ議論があったのは、小沢さんの党運営に対する影響力ついてでありました。私どもも、最初は新進党を解体したときの行動に対してかなり批判的だったものですから、その点について確認するまでは合併推進はしないという態度でした。
 そこで、昨年から今年にかけて、小沢さんと何回となく話をし、党運営について納得のいく結果を確認することができました。それで自由党との合流について、積極的に進めようということでやってきたわけです。  小沢さんは、自分の政治力を駆使するために党を動かすと言う時代ではないということを自覚されて、自分自身は一歩退いて、政権交代のために努力するということを約束されました。私もそれを是として、やはり政権交代がない限り、日本の政治がよくならないということで、民主党の皆さん方を一生懸命説得してきたということです。

○結果としては全党的な合意による合併
  実は積極的に自由党との合流をやろうというメンバーが、およそ五十人位おられました。そういう方々のほとんどが、民主党の代表選挙(昨年9月)の際に鳩山支持だったわけです。そのために、鳩山グループと自由党が合流するというふうに見られると困るという事情がありました。そこで、ある程度話が進んだところで、今度は菅さんと岡田さんに対して、「あなた方が指導者なのだから、主体性を持ってやってくれ」という申し出を何回もやりました。そして、我々が得た情報を全部伝えました。
 こうして、ある程度合併の機運が高まったところで、鳩山さんも含めて、私たちが後ろに退いたわけです。そして、菅さんと岡田さんが前にでて合流について結論を出したということです。そういう手法を取ったために、党としては非常にまとまった形で合併ができたということで、みんな喜んでいるところです。
  この合併に積極的に反対するグループはほとんどいません。最初、反対されていた人たちの理由は、思想的な影響を受けるとか、党内がかき乱されるとか、そういうことでした。それで、一時は十人程度が反対派として残っていました。ところが、小沢さんが全面譲歩するような形で合流することになったものですから、そういう人たちも、それに追従して合併に同調するようになりました。
  合併した結果、衆議院の勢力は百五十議席となります。通常国会に首相不信任決議案を提出したときは、与党と野党の差は百八十でした。ですから、少なくとも衆議院で野党が五十四議席を増やさなければ、与野党逆転はないわけでですし、政権交代もないわけです。これは一大事業です。 この政権交代を実現するためには、民主党だけではなく、どの政党であっても志を同じくする仲間を増やしていかなければならないわけです。極端なことをいいますと、あれはいやだ、これはいやだと言って選択をしている時期ではないです。

○国民生活を重視した納得できる公正な政治
 細川内閣によって初めて政権交代が実現したわけですが、一年足らずで総辞職してしまいましたので、政権交代の意味がほとんどありませんでした。少なくとも選挙から選挙までの四年間とか、予算編成を何回かするような形で政権を担当しないと、政治は変わりません。また比較できるだけの政治実績がないと、国民の意識も変わらないです。
  それだけに、政権交代を実現するためには、現政権との違いを明確に示さなければなりません。その点で、民主党は自民党とどう違うのかということが問題になります。
  民主党と自民党の違いですが、一つは国民生活を重視して、政策の成果が常に国民の目に映るような政党でなければいけないと思います。自民党の場合は既得権益を守ることによって政権を維持しています。それが利権につながって政官業の癒着構造ができあがり、公正な自由競争もなく、一部の人が利権によって焼け太りしているわけです。
  これからは、国民にいろんな負担を背負っていただくわけですから、不満もでてくるかと思います。それを解消するためには、まずいろいろな面で平等でなければなりません。そして、国民が納得のいく政治が行われないと負担もしていただけないということになります。そのことを考えれば、いかに公平な政治を行っていくかというのは、より大事になっていきます。
  今までの日本は伸び盛りでしたから、だれでも何かの形で社会の恩恵を貰っていたわけですが、のびが止まったこれからは、そうはいかなくなります。ですから、利益や負担がどこかに偏ることになりますと、国民の不満が高まってきて、国そのものがもたなくなってしまいます。

○所得の増大こそが日本経済を再構築する
 具体的な政策としては、大胆なことをやらないと構造改革もできないのです。最終的には、日本経済をいかに再構築するかということに尽きると思います。そのためには、屋台骨を支えているだけの財源を確保することが必要です。池田内閣の「所得倍増」ではありませんが、民主党としては、国民所得を少なくとも十年間に三割ぐらい上げるような政策を打ち出していくことです。場合によっては、円の切り下げをやらないといけません。それには、対外的な物価調整や、経済力の調整などが含まれると思います。
 それから身近なものとして雇用の問題があります。現在の雇用対策は企業にまで及んでいません。企業再生の機構はできましたが、あれはどちらかといいますと、融資を主体としたものです。しかし、なぜ企業を再生しなければならないかというと、産業や企業が分野的に行き着いてしまっているからです。
 それを解消するための政策を民間の力を利用すれば必ずうまくいくと思います。行政だけで処理しようとか、金融機関と行政だけでやろうとするからうまくいかないのです。私は長年、「経済雇用調整センター」の設置を主張しています。それは雇用と新技術、会社経営、販売のノウハウなどを全部リンクさせたセンターで、そこへ一度まかせた上で、新しい分野に割り振りするというものです。このような施策をすれば、必ず新しい分野に対しての支援と雇用吸収ができると思っています。
 日本経済再生のために、少なくとも十年ぐらいは、そのような機構をつくって支援することが、国としても大事ではないかと思います。不良債権などは、金融面からみると大事ですけれども、実際には不良債権処理のために、大企業には会社再生法を適用して救済しますが、下請けの中小企業はそのあおりを受けて倒産しているわけです。
 労働組合は、こういう時代には賃上げをしにくいといいますが、私は日本の国を救っていくためには、やはり所得を増やすということを念頭において、最終的には年金や税金の負担感をなくしていくということも大事だと思います。ですから、労働組合は思い切って賃上げを要求するぐらいのことを、これからもアピールしてもいいと思います。

○自助の努力を支援する形の福祉への転換
 国の基本的なあり方を規定しているのが憲法ですが、経済の観点から憲法を見てみますと、労働の義務だけは明確に書かれていますけれど、その他についてはどちらかというと障害になるような囲いをしているという感じです。例えば行政が私企業に介入してはいけないという役所の判断がありますが、ある時期、国家政策で大転換を図らなくてはいけないというので、一種の社会主義政策がとられていたわけです。それが今では行政支援できないというのはおかしいです。そういう発想を変えていかなくてはダメだと思うんです。
 今までの行政のあり方は、特に経済面や社会保障については社会主義でやってきているわけです。その事実を憲法上認めることによって、さらに活用できるのではないかと思います。長期戦略でやらなくてはいけない部分は社会主義的なものの考え方が馴染んでいるわけですから、そこは思い切って平等にやればいいと思います。ただし、自由競争とか、自分たちの生活の選択とか、努力によって扱い方が変わるものについては、自由でなければならないと思います。
 ただ、平等のはきちがえみたいなところがありますね。その人の能力と努力の結果、そこに価値が生じるわけですから、結果の平等ということよりも、機会の平等が必要だと思います。機会が平等に与えられて、努力したらいい結果が出るし、努力しなければ悪い結果になるというのが平等だと思います。そのことを国民にもっと理解してもらわないといけないのではないかと思います。
 この平等のマイナス面が福祉にもあらわれていると思います。あまり言いますと差し障りがありますが、「至れり尽くせりの福祉は国を滅ぼす」と言われております。民主党も、福祉に自助努力を取り入れて、その人たちが自立できるような支援体制をつくることが福祉だというふうに方向転換をしてきました。障害者なり高齢者なりにそれなりの努力をしていただいて、その結果が報いられるような支援をしていこうというものです。

○公共の福祉を基礎とする国防のあり方
 現在の世界情勢においては、それにふさわしい憲法にするための見直しが必要であると思います。今までは「平和憲法」ということで、一つの歯止めになっていました。しかし、地方においては、国民に「国をまもる」という意識がなくなってしましました。これは大きな問題だと思います。 国家に対する意識が薄れるにしたがって、社会とか公共とかというものを忘れがちになってきました。その中で「公共の福祉」が非常に曖昧になりまして、「公共の福祉に反しない自由」という憲法の規定は軽視されていますね。また国民に対する義務は微々たるもので、権利主張だけが目立っています。
 公共の福祉のためには、社会に対する責任をみんなが感じなければいけないことです。ところがそれがありません。日常生活の中で、自分の主張さえ通ればいいという考えが強く、公共の福祉に反することが非常に多いのです。社会がこれだけ悪くなったのは、やはり権利主張ばかりで、義務とか公共の福祉とかがないがしろにされてきたからだと思うのです。公共の福祉は国全体を守っていく基本だということを再確認することが必要です。
 「国を守る」ということでは、憲法九条が問題です。専守防衛を謳うなら、そのための戦力は保持するということを明記しておくことが必要です。自衛隊は軍隊なのです。それを「軍隊ではない」と解釈で逃げているのは非常におかしなことですし、危険なことでもあります。
 あれだけの戦力をもっている自衛隊を「軍隊ではない」と言っても、どこの国も認めてはくれません。ですから、近隣諸国に対して、専守防衛を憲法で謳って、それを明確にすることは非常に大事なことだと思います。それを誤魔化しているから、あらぬ不信感をもたれているわけです。
 それから、国民の生命・財産をどのようにして守るのかということも明記しておくことが大事なことです。「国をまもる」ということは、同時に国民全体の生命と財産を守ることだということが理解されないと、国防意識は生まれてこないからです。

○国家戦略に基づく総合的な対外政策
 いずれにしても国家意識というものが非常に希薄です。そのために国家意識もでてこないし、国家戦略もないのです。例えば外交や安全保障だけでなく、経済も国家戦略の一環なのです。国際社会の中で、日本の国がどう生きていくのか、国がどこまでそれをやるのか、その際に、通商上どこの国とどのようにやっていくかという総合的な判断が必要でしょう。そういう面での国家戦略が見えてこないのです。
 それは国というレベルで産業を守ろうとか、伸ばそうとかという意識がなくなってきているからだと思います。要するに、通商は民間でやっていければうまくいくという考え方です。経済的な面での外交交渉の際に、産業を代表した人を連れて行くということが、ほとんどないわけです。日本が買うときだけは連れていくことがありますが、売り込みのときはないわけです。そこが諸外国とは違います。経済は国の柱ですから、やはり国家戦略として扱うべきです。
 自民党の若手の人たちが、通商と外交を一緒にすべきだという話をされていますけど、私は一緒にしなくてもいいと思います。国家戦略のもとに中枢がうまくリンクしていれば、それぞれ連携してできるからです。外務省経済局が独自で走るとか、経済産業省は局単位でやるとか、ばらばらに個別対応しているのが問題です。そうではなくて、国家戦略として、何はどこが主体となってどうやるかということを十分打ち合わせをしてやるべきだと思います。
 その意味では、新しく設置された内閣府の機能が不十分です。内閣府が大統領府のような突出した指導力をもって国家戦略を立ててやるべきだと思うのですが、いまのところ調整機関にすぎません。内閣総理大臣も閣僚会議の座長みたいなものです。総理というのはもっと権限をもつべきです。

○マニフェストを掲げた選挙戦略で勝利
 十一月に総選挙が行われることがほぼ決まったようです。十月五日に正式に民主党と自由党との合併(党大会)が行われる予定になっていますが、日程的に少し忙しくなってきます。選挙区の調整等もまだ残されていますが、新機軸を出して選挙に臨まないことには、選挙に勝利して、政権交代を実現することができません。そこで、いま手がけているのが政権担当のマニフェストです。それをうまくアピールできるように作り上げることが第一です。
 我々の政権下では、どういう国家をつくるのか、どういう社会を目指すのか、どういう経済運営をするのか、そして国民にはどういう生活を保障するのか、というものをはっきりと示して、ともかく私どもが請け負ったら、これだけのことをこのようにやりますということを具体的に国民に約束すべきだと思います。それがマニフェストですが、これを導入したことは、これまでの選挙のあり方を一変するものであり、有効な戦略だと思います。
 今までも選挙政策を掲げてきましたが、それらはあまりにも総花的で、国家像がないものでした。しかし、今回のマニフェストでは国家像を明確に描き、それに対する自分たちの目標値をセットしたもので、いわば「国家建設計画書」と言うべきものです。
 これによって国民の支持を得られるような選挙をやれば、必ず自民党に肉薄した選挙になります。そして、これは少なくとも次の参議院選挙影響しますから、衆議院の選挙は非常に大事になっていくわけです。
 それから小沢さんと菅さんの二枚看板を活用して、両方の支持層にうまく浸透させるということが大事だと思います。小沢さんというのは総理になってもよい人ですから、そのイメージをうまくアピールする必要があります。そして、今までのネットワークを菅さんがうまくまとめるようなことが大事であると思います。それとマニフェストとの組み合わせで、選挙戦を有利に戦おうということです。
 とにかく「国民に信頼される政党」になることであり、政権担当能力があることを国民にアピールすることができるかどうかが、選挙のカギとなります。合併の目的である政権交代が達成できるよう全党をあげて頑張りたいと思います。

(この文は、政策研究フォーラム発行の「改革者」1
月号にて、玉置がインタビューを受け、発行編集部が文責・一部訂正したものであります)


おおらかさに囲まれて、魚とりにあけくれた
(民主党広報誌86号より)


私の生まれ育った町は京都府の南端で、数キロ行くと奈良市という田舎町でした。今では大阪まで50分ですが、当時は木津川を挟んだ農村でした。家から木津川まで2キロぐらいで近くに溜池がいくつもあり、夏休みは泳ぎと魚とりの毎日だったなと、懐かしく思い出しています。
歩いて川へ行く時は、道端のきゅうりやトマトをおやつにし、スイカは川で冷やして分けて食べ、秋近くになると河原で枯れ木を集めて、取れた魚とさつまいもを一緒に焼いたりして楽しみました。今考えると、道端で夢中に頬張ったそれらのものは誰かが作っていたものですが、不思議と誰にも叱られずにいたのは、みんなおおらかだったのかなと思っています。どんなに遊んでもお金がかからず、自然に親しんだ記憶は、いつまでも心に残しておきたいと思います。




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