天使じゃないってば!





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父の日
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お酒と相性がいい私の体質は親ゆずりである。
遺伝的素質と日頃の努力によって、私は大抵のアルコールを口にすることができる。
子供の頃、夕食時には牛乳を飲んでいたのだが、それは大人になってビールに代わった。
今では実 家に帰って、食事どきにお茶でも飲んでいようものなら
「何で飲まへんの?」と親に突っ込まれ、 飲まない理由を述べなければいけない。
そんな家庭である。

私の父もよく飲む人だ。
こんなに飲んでいてどうして検診で肝機能にチェックが入らないのか、と ナースである娘は不思議に思う。
しかし、大人になってからはたまには父と飲みに連れてもらうこ ともある。
当然、父がスポンサーだからこんなときは黙ってごちそうになり、杯を酌み交わす。
もうずいぶん前になるが、そんな父の本音を一度だけ聞いたことがある。
「やっぱり、息子と飲みたかったんですわー。」
東京で父と会い、食事に行った先で父の知り合いと偶然会った時、話の中で出た一言であった。
この言葉を聞いて、私は「娘」であることを悲観することはなかったが、将来夫になる人を選ぶな らきっとお酒の飲める人にしようと決めた。
でも、私達姉妹を女としてこの世に送り出したのは他ならぬお父さん、あなたなのですよ。
男女産 み分け法を知っていたら、ねぇ。

あれから何年経っただろうか。父の願いは未だ実現していない。
父がまだそんなふうに思っているのかも聞いていない。
しかし、こんな「ドラ娘」でも手元に置いておきたいと思うものだろう、とたかをくくっていたの だが、
どうやら母の話によると花嫁の父にはなりたいらしい。
これにはさすがにプレッシャーを感じる。
とりあえず、今の彼氏は酒が飲めるな・・・。

おとうさんへ。
いつも言うことを聞かない親不孝な娘でごめんなさい。
あの時の言葉は忘れていません。
ずいぶん待たせているけれど、いつかお酒の飲める人と結婚するから
「息子」と一緒に飲める日ま で、肝臓きたえて待っててね。

世の中、サッカーのワールドカップ一色ですが、お父さんに感謝しましたか?されましたか?
6月21日は父の日。


6月1日

私には2歳年上の、「ひのえうま」うまれの姉が一人いる。
この干支のせいかどうかは知らないが、私の姉は昔から 「ひのえうま」の名に恥じないおてんばだっ た。

私が産まれて母子ともに入院していた間、父と姉は母の実家にいた。
そのころ姉は1歳10ヶ月。好奇 心にあふれ、何でもさわってみたくなる年頃だ。
その日も夕食時の台所に潜入、おなべをひっくり返 してお湯をかぶり、手足・オシリにやけどを負った。
父は慌てた。妻の不在中に子供に怪我をさせてしまった。
しかし、とにかく病院に連れて行かなければいけない。
父は姉を私たちが入院していた同 じ病院に連れて行き、そして姉も入院することになった。
父はこのことを入院中の母に言うことができなかったらしい。
同じ病院にいるにも関わらず、ナイショにしていたのだ。
何も知らない母が私を連れて退院すると、姉がいない。
「聡子(サトコ:姉の名前)はどうしたん?」
そこではじめて父が「実は・・・」と事情を話し、母は事の顛末を知った。
おてんばさんの姉は両親の心配をよそに、病院では包帯ぐるぐるまきの状態でも 大きな声でお歌をうたい、看護婦さんの人気を集めていたという。

こんな騒動のおかげで私の名前をじっくり考えるヒマがなく、
6月にうまれたから「じゅんこ」でええわ
(6月=JUNE→じゅんこ)、となった・・・かどうかは定かではない。
(ただし、名前の由来はホントの話)
ちなみにサトコさんは現在、仕事を辞めスペイン遊学中である(もちろん独身)。

ちょうど30年前の今日のお話。というわけで6月1日、私の30回目の誕生日。
*「お祝いメール」はこちらまで!


5月22日

一年ほど前から、時々近くのプールに通っている。
通っているとはいっても月に1・2回だからあまり胸を張って自慢できる話ではないが、それでも5 月は週1・2回のペースを保っている。
ただし、オンナにはオンナの事情があるので月に一度、一 週間ほどお休みをしなければならない。やはり、オンナは面倒だ。
水泳をはじめたきっかけは、腰痛だ。実はぎっくり腰になったことがある私は普段から気をつけて いたのだが、一時期あまりに患者の介護度が高く腰が痛くなってしまった。
腰に湿布を貼りつつ、 「しかし、これを患者のせいだけにしていいのか?」と私は振り返ってみた。一般的な腰痛の原因 には無理な姿勢と腹筋・背筋力の低下がある。
そのため看護技術でも、「ボディメカニクス」とい うナース自身の身体の有効な使い方を習ったではないか。
そうだ、私自身も反省だ。看護技術の基本を忘れ、運動を怠っていた、と・・・。

思えば、私は子供の頃から「体育会系」である。
父がスキー好きであったため、物心ついた時にはすでに雪上を滑っていた。
小1で京都踏水会の夏期講習に行くが、水中で目を開けることができずに挫折。
しかし懲りずに小4で近くのスイミングクラブに通い、見事復活。
ところが、小6になって突然バ レーボールをやると言い出し、水泳をあっさり辞める。
と思えばホントにやりたかったのはテニス !とばかり、中・高6年間を軟式テニスに賭けた。
働きはじめて硬式テニスもマスターした。 ・・・なのにいつからこんなにオシリの重いオバチャンになったんだ。
これではいけない。カラダを動かして鍛えなければ。
そして、選んだのが水泳だった。
スイミングクラブでは本格的にやっていたので、泳ぐことに抵抗 はない。抵抗したのは水着姿だった。
一大決心をするのにしばらくかかったが、水に入ってしまえ ばこっちのもの。
それに私は非常に視力が悪いので、コンタクト・レンズをはずしたら相手の視線 も気にならない。

こうして水泳をはじめたことを、ある日M君に話した。
すると彼はそれ以来会うたびに「プール、 行ってる?」と聞いてくるようになった。
そうか・・・口に出しては言わなかったけれど、君も私 のカラダに危機感を持っていたのね・・・。
しかし、月に一回や二回の水泳では効果がないとわか ってあきらめたのか、しばらくすると聞くのをやめた。
聞かれなくなってちょっとホッとしたが、なんかくやしい。今に見てらっしゃい。ナイスバディ (!)になって君をビックリさせてあげるからね。
・・・いつかね。

それまではお子様ができないようにしなければ。いや、できたら困るってば。
(現在までのところ、体力増進及び体脂肪減少の二大目標は 達成されておりません。念のため。)


天使じゃないってば!・4

気持ちのいい季節になってきた。しかし今年は何だか、夏の訪れが早いようだ。
そうだ、薄着になるとムダ毛の処理をしなければならない。 ・・・オンナって全く面倒なんだから。
ムダ毛の処理をするたびに、看護学校の実習を思い出す。 剃毛、つまりを剃る実習をしたからだ。
を剃ると余計濃くなるというが、 この実習のおかげで私は腹と膝のが濃くなったんだ、と思って いる。
だけど、あの頃はホントに身体張ってたなぁ・・・。

学校によって実習(病棟で実際に患者さんに接する前に看護技術を練習しておくこと)の進め方は様 々なのだが、
私が卒業した学校は学生数が少ないこともあり、かなりいろんな実習をさせられた、い や、することができた。
患者さんとどんなふうにして話をするか、にはじまり患者さんの移動方法・清拭(せいしき:身体を 拭くこと)・ベッドのシーツ交換など、これらを自分たちが患者・看護婦役となって練習する。
そして実習は徐々にハードになる。
生まれて初めて手に持った注射器と注射針を、友人のオシリに刺したし、 私も刺された。
浣腸便秘のコが多かったため、 意外と皆に評判が良かった。
剃毛、つまり身体のを剃る 実習ではお腹と膝を犠牲にした。
救急蘇生法と死後の処置は患者役ができないので、人形で代用した。

私にとって忘れられないのが「床上排泄」、 すなわちベッドの上で用を足す実習であった。
本来の目 的は、ベッド上安静の患者さんの排泄を介助する練習なのだが、 寝たままで排泄する患者さんの 感覚を知るために本当にオシッコをする(!)ことになった。
オシッコくらいすぐだせるだろう」とたかを括っていた私。
まずは看護婦役で患者役になった友人 ・N子ちゃんのオシッコの介助を無事終了。
ところが交代していざ患者役になってみると、でないのだ。 オシッコが。
実習時間が終わってもオシッコがだせない私を指導教官は 許してくれなかった。
「実習室はもう片づけま すから、アナタ、隣の部屋でオシッコを続けなさい。」と 私はベッドごと隣室に連行された。
N子ちゃんは「大丈夫だよ、がんばって」 とカーテンの向こうから励ましてくれたが、大丈夫なんかじゃない、このま まオシッコが出なかったらどうなるんだ、私は・・・。
ついに私は非常手段に出た。ベッドに寝たままでするはずのオシッコを、 「座って」したのである。
それは、サッカーにたとえるなら審判が見えないところでハンドの反則を犯すような行為であった。
しかし、この「反則オシッコ」のおかげで私はベッドから解放された。

先生、N子ちゃん、ごめんなさい。私、うそをつきました。
今は昔、十年ほど前のほろ苦い(オシッコ臭い*)思い出である。

*僕が勝手に書き込みました。よしあき

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京フラ君には「エンジェル・ケア」についてリクエスト(?)いただいてますが、なにかあれば どうぞ、お知らせ下さい。


「夜勤の極意」

看護婦といえば夜勤、というくらい、この職業は夜に働くという印象が強い。
では、仕事をするうえで昼と夜の最大の違いはなにか。
それは、夜は患者が「寝ている」ということである。
この当然ともいうべき違いは実は結構、重要 だ。
患者がよりよい睡眠を得られるように援助することは、夜勤業務の目標のひとつである。
その ため、夜間は日中とは違った動きが要求される。

睡眠を妨げる要因はいくつか考えられるが、まず思いつくのは「物音」である。
消灯を過ぎると、 私たちは物音に特に気を遣う。
患者が寝静まった病棟は意外と物音が響く。
だから、夜勤中の巡回 では物音に気をつける。
足音・ドアの開閉・点滴の交換など、そーっと、そーっと患者に近づく。
やむを得ず話す時もヒソヒソ声だ。
朝になって、「看護婦さんが来てたの、全然知らなかったよ」 などと言われたらしめたもの。
時々私は泥棒か探偵になれるんじゃないか、と勘違いする。

私たちはただ、巡回をしているのではない。
五感を駆使し、眠っている患者を「観察」している。
(もちろん、日中だって五感を駆使している。使い方が違うのだ。)
暗闇で一番利く人間の五感は「聴覚」だ。
巡回では、ますは呼吸の「観察」。
寝息が聞えなかった ら大変だ。死んでいるかもしれない。
状態の悪い患者やご老人などは特に気をつける。
病室に行っ たら呼吸停止していた、ということが無きにしもあらずだ。
だが、幸いにして私はそんな場面に遭 遇したことは、ない。

次に懐中電灯をできるだけ患者の顔に当てないようにして「視覚」で観察。
光も睡眠を妨げる要因 になるから、気をつける。
「味覚」は残念ながら使えないが、「臭覚」は有効だ。
「んっ、このニ オイは・・」。
オムツをチェックして、交換。
タバコのにおいがしたら、物証を押さえて翌朝「病 室には治療用の酸素が壁に設置されてますからねー。もし、酸素が漏れたら爆発するかもしれませ んよぉ」とオドす(当然、本来病室は禁煙)。
脅しついでに主治医からもきつく叱ってもらう。
「触覚」は発熱している患者や状態の悪い人など、直接身体に触れる必要がある場合に有効だ。

さて、「第六感」。これは使わんやろー、と思ったあなたはアマイ。
「なんとなく気になって」、定時の巡回以外にも患者の病室に行くことがある。
こんな時、患者の 状態の変化を発見したり、危険を回避できたりするのだ(「某月某日」参照)。
ベテランになれば 、病室に一歩入ってその場の空気の違いを感じることもある。
しかし、これはどうやらオンナの第 六感ではないらしい。
看護士さんの中にも妙にカンのいい人がいるから、きっと知識と経験の成せ る技なのだろう。
私は今のうちにこの第六感に磨きをかけて、 結婚したら(できたら!?)活用したいと思っている。


−某月某日−

18時30分、
目覚し時計がなる。起床。
シャワーを浴びて目を覚まし、身支度。おっと今日はJリー グの日。
20時に「落書帳」で戦況をチェック。んー、今日もサンガは先行されてるかぁ・・。

20時15分、
出勤。電車は一杯引っかけて家路に就く人々でちょっと混雑。
いいなぁ、アタシはこれ から仕事だい!

20時45分、
病院に到着、更衣。
どんなに眠くても、辛いことがあっても、白衣に袖を通したら、私 は「ナース」。
私事は仕事に持ち込まない・・・というのは理想だ。

20時50分、
病棟へ。
10分前行動は社会人の基本。待ち合わせには大抵遅れる私だが、仕事は別だ。

21時00分、
深夜勤開始。
ベッド数31に対して夜勤者は2名。まずは各病室を巡回して、就寝の準備 や必要な処置を行う。
今日は落ち着いてみんな寝てくれるといいけど。

22時00分、
消灯。
これから朝まで巡回をしたりナースコールに対応しながらカルテに患者さんの状 態を記録。
合間をみて、交代で休憩・仮眠をとる。

○号室のAさん。軽度の痴呆があり、移動・排泄がまままらない。
毎日、シーツや寝間着を汚 したり、点滴を自分で抜いてしまったりと少々手がかかる。
今夜も要注意。
案の定、巡回時にAさんが自分で動こうとしているところを発見、間一髪で阻止。
排泄を介助 し、とにかく二言目には「ナースコールを押してくださいね!」と言い続ける。
口調はややキ ツイ。痴呆のある人にも学習能力はある。
やっと覚えてくれたのはいいが、今度は用事がなく ても押すようになってしまった・・。
これを私は「なんでもないコール」と呼んでいる。

○号室のBさん。原因不明の痛みがあり、本人の不安が強くナースコールが頻繁だ。
Bさん:「知ってるんでしょ、私の病気。教えてくれてないんでしょ。」
うーん、不安が強いなぁ。
ここはひとつ、いすに腰掛け、手を握って「不安を持つ患者への援 助」だ!
・・・Zz・・あ、いかんいかん、私のほうが寝てしまうとこだった。
とりあえず、睡眠薬と鎮痛剤で切り抜ける。

そんなこんなであっという間に朝になる。
夏場は4時前に、冬場は6時を過ぎてようや く夜が明ける。
夏至に近づいていくこの季節、実は真夏と同じくらい夜明けが早い。
夜明けの時刻で季節の移り変わりを感じる私。
朝が来た・・と一瞬ほっとするひととき でもある。

6時30分、
起床。
「おはようございます」「お休みになれましたか?」「調子は如何ですか?」と 一人一人に声をかけ、各病室を回る。
年配の患者は大抵起きているが若者は遅い。
それ でも病状が落ち着いていれば無理矢理起こす。
その他、採血・検尿・手術の準備にモー ニングケアetc・・と忙しいが、ゆとりがあればやさしい言葉に笑顔のおまけつき!
で も、ここしばらくは忙しかったから、きっとスゴイ形相をしていたにちがいない。

8時30分、
日勤者に引継ぎ、勤務終了。
しかし、時間通りに終われる日は数少ない。

10時00分、
帰宅。寝る準備をしながら、パソコンを立ちあげ、昨日の試合の結果をチェック。
うーー、また負けちゃったのか・・・。

11時00分、
そろそろ寝よ・・。
外はいい天気だけど、私には関係ないなぁ。おやすみ。

(数時間後)
RRRRR・・・
「ふぁい・・・もしもしぃ・・・」(誰やー、寝てるのに電話で起こすやつぁ・・・)
「もしもし。なんだ、まだ寝てんの?天気いいよ。オレ今日休みだから。」
げっ、Mくん(注:彼氏)から電話!まだ寝たい。でも・・。わかった、起きるよ、起きる。
−−−こうやって私の一日はまだまだ続く。

こんな私を「白衣の天使」と呼んでくれますか?

(お断り:文中のエピソードは事実を元にして創ったものであり、実在の入院患者さんとは関係 ありません。・・・たぶん。


5月2日(土)

よしあきさんがこのHPに一コーナーを設け、私の拙い文章をのせて下さるという。
うれしい!
卒論作成がなかったらパソコンを買うこともなかったし、インターネットにデビューしチャットに はまることもなかっただろう私。

名前を考えるべくニュースステーションのトップページを見ていたら、ふと気がついた。
「めぐたん」って、誰に「めぐたん」って呼ばれているやろう・・・・・?
そう、私の両親も私のことを「じゅんたん」って呼んでいる。
両親だけじゃない、姉や親戚も・・・。
従姉妹の子供にいたっては、
「じゅんたんねえちゃん」だ。(決しておばちゃんとは呼ばせていない)。

大人になっても変わらないこの愛称は、実はちょっとばかり恥ずかしくてコンプレックスだった。
しかし、以前TVで高島政伸が、
「両親は自分のことを今でもあーちゃんと呼んでます」と言っていた。
何でも、彼が産まれた時に兄・政宏が彼のことを「あかちゃん」と言えずに「あーちゃん」と 呼んだのを聞いた高島夫妻がそれ以来、政伸を「あーちゃん」と呼んでいるのだそうだ。
最後に彼は「多分両親は死ぬまでボクのことをあーちゃんって呼ぶんでしょうね」と言っていた。

私もきっと三十路をすぎても「じゅんたん」って呼ばれるんだろうなぁ。
しかしこの話を聞いてから、6月生まれという理由で「じゅんこ」と名づけた単純な両親ではあるけれど、
愛情みたいなものを感じて、少しずつ私のコンプレックスは小さくなっている。
今度帰ったら、この愛称の由来を聞いてみようっと。

ちなみに京都の幼なじみや友人はかなり好き勝手に呼んでいた。
「じゅんたん」から「じゅんちゃん」。
「じゅんち」「ずんたん」「すんちゃん」「ずんち」「ぢ。」・・・・なんじゃそりゃ?

みなさんは身内の中でだけ特別に呼ばれる・呼んでいるような愛称、あります?



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