天使じゃないってば!
言ってはいけない
私は人から職業をたずねられるのがキライだ。
「看護婦さんなんですか。大変ですねぇ」
「どうして看護婦さんになろうと思ったの?」
あるいは、「看護婦さんって憧れるけど、私にはとてもできないわ」という言葉。
この職業に就いてから、数え切れないほどこんな言葉を聞いてきた。
「看護婦してます」と言うと、多くの人がこのような反応をする。
そんな時、私が「いえ、そうでもないですよ」などと言おうものなら
「いやいや大変ですよ、看護婦さんは」と切り返されたりして、会話は“メビウスの輪”と化す。
そこで私は面倒になると「ええ、大変です」と答えることにしている。
こういう人にとっては私が看護婦をしているとわかった瞬間から、
私は「看護婦の○○さん」となり、
「看護婦=天使&エライ人→私=天使&エライ人」という図式ができあがってしまうらしい。
まるで、私の全人格が天使的でエライ人であるかのように。
「看護婦」と聞けば「大変ですねぇ」と言ってしまう人は、どうやらそんなイメージを持っているようだ。
他の同業者はどうか知らないが、私にとって「看護婦」は「職業」であって、私自身を代弁するものではない。
勤務が終われば白衣を私服に着替えるように、
「心の白衣」も着替えることによって
「オン」と「オフ」を切り替えている。
そうでないと、「看護婦」というフィルターが
本当の私自身を覆ってしまうような気になるからだ。
そんなふうに思うのは看護婦がステレオタイプの強い職業の一つであるが故に、
プライベートな時間にまで型にはまった看護婦像を求められることに抵抗を感じるからなのか、
あるいはただ単にアマノジャクなだけなのか。
しかし、おそらく多くの同業者も多少の差こそあれ看護婦に対する世間のステレオタイプと
本来の自分自身とのギャップに葛藤を抱いていることだろう。
いやいや、もしかすると案外世間の人々は何も考えずに,
冒頭の科白を決まり文句として
使っているだけなのかもしれない。
会話のはじめにはその日の天気を話題に出すのと同様に、
いわば挨拶代わりの無難な「話のツカミ」として言ってみるだけで、
本当は別に大変だとも何とも思っていないのかもしれない。
とは言え、「大変ですねぇ」なんて言われるとやはり返答には困る。
と同時にワンパターンなその反応に内心がっかりし、
たまには「おや、コイツ違うな」と思わせるような人はいないものか、
とアマノジャクな私は密かに考えるのである。
さて、そんな私も看護士さんなんかに会うと思わず愚問を投げかけそうになってぐっと言葉を飲み込むことがある。
彼らもきっと、何度も何度も同じことを聞かれてうんざりしているに違いない。
これからは看護婦(士)に会っても、決して「大変ですねぇ」などと言ってはいけない。
少なくとも、私には言ってはいけない。
クスリはリスク
「クスリはリスクです」。
看護学校の薬理学で先生はこう教えてくれた。
薬には作用があるが、必ず副作用もある。逆に言えば副作用のない薬はない。
だか
ら安易に薬を用いることなく、常にそのことを覚えておいてほしい、ということだ
った。
今にして思えばそれは冗談まじりだったのかもしれないが、私はこれを聞いて素直
に感動した。
上から読んでも下から読んでも「クスリはリスク」。なんてよくできてるんだ・・
・。
3年間の勉強で一番印象に残り、かつよく覚えている言葉である。他にもっと大事な
ことがたくさんあっただろうに。
だいたい教師が教えたいことと、実際に学生が覚えていることは往々にして異なる
ものだ。
しかも学生ときたらしようもないことばかり覚えてしまう。
私もきっとそ
んな学生の一人であったに違いない。
この名言にいたく感動したにも関わらず、臨床で働いていた頃の私はクスリを乱用
していた。
三交代勤務をしていると、少々の体調不良では休めない。
夜勤ならなおのことであ
る。
もし体調が悪いなら、使えるものは何でも使ってコンディションを整えて臨まない
とミスにつながるし、いかにも「調子悪いです」という態度は接する患者にも一緒
に働くスタッフにも迷惑をかける。
だからいわゆる「常備薬」を準備していた(注:正規に受診して医師に処方しても
らうもので、決して横流しではない)。
風邪をひいたら総合感冒薬にビタミン剤、悪化したら抗生物質。熱があったら坐薬
で下げる。
痛みの諸症状には各種鎮痛剤。
下痢も便秘も恐くない。
変則勤務で睡眠リズムが乱れたら睡眠薬や精神安定剤の登場だ。
さて、臨床を離れた私がどうしても手放せないクスリ、それはセデスG(鎮痛剤)
という薬。
こう見えて私は頭痛持ちである。
頭痛は突然やってくる。大抵は疲れている時だが、空腹だろうが眠かろうがこんな
時には即セデスGの出番となる。
幸いにも私の胃腸は鉄壁で守られているかのごとく丈夫にできているので、例えば
寝起きの空腹時にブラックコーヒーでこれを飲むという荒業もへっチャラだ。
人によっては気分が悪くなったり眠気を催すこのクスリ、私には「リスク」なしで
ある。
いや、やはり「リスク」はきっとあるだろう。
私の身体がそれより丈夫なだけなの
だ。
あぁ、ヤワじゃなくて良かった・・・。
しかし私だけでなく、世のナースの多くはこうやってリスクを犯しつつクスリのお
世話になりながら、今日も働いていることだろう。
運転免許
「平成11年5月28日」と日付の入った運転免許証が今、私の財布の中に収まっている
。
免許取得に要した日数、6週間と2日。
教習オーバー計7時間。総費用約38万5千円。
これに私の汗と涙を加えて手に入れた免許証である。
この4月から”天使”じゃなくなった私は、ぷうたろうな日々を運転免許取得にあて
ることにした。
なぜ今になって運転免許なのか。
東京都内に住んでいれば、日常生活で車の必要性はほとんど感じない。
しかし、この先もずっと交通の便がいい街に住むとは限らないし、もし仮に将来在
宅医療などに携わることになればやはり車は運転できたほうがいいだろう。
それに遠出の際、彼氏にいつも一人で車を運転してもらうのも悪いなぁ・・・とち
ょっぴり思う。
時間と体力と多少の貯えのある今がチャンス、そう考えて免許取得を決めたのだっ
た。
正直言って教習の日々は辛かった。運転が楽しいとはとても思えなかった。
なぜかマニュアル車を選んでしまった私はエンストを繰り返し、ギアチェンジにて
こずった。
周囲の状況判断が遅くて自分でもヒヤヒヤした。
これら運転操作や状況
判断について教官によくおこられた。
だが、私はおこられてヘコみながらもたまに
は「教える立場」から「教わる立場」になるのもいいのかもしれない、と考えてい
た。
仕事では私くらいの年齢になれば、中堅として若いスタッフを指導する役割が求め
られる。
ここ数年来、教える立場だった自分もともすれば教わる人のことを考えず
に一方的な指導をしていなかっただろうか。
感情的な言動や振る舞いをしてはいな
かっただろうか。
人のフリ見てなんとやら、人に物事を教えるって難しい。・・・
ってことはそんな教官がいたということなのだが、詳細は差し控えておこう。
仮免・卒検は一回でパスしたが、免許試験場で受ける学科試験でわずか一点足りず
に落っこちたのにはさすがにショックだった。
しかしすぐに立ち直ると今度は却っ
て開き直り、再び試験を受ける前日こころゆくまで酒を飲んで二日酔い状態で受験
し、合格したのだった。
しかしこの免許証、まもなく私は取得後一回目の誕生日を迎えてしまうため有効期
間は実質2年である。
なんか損した気分だけど、ま、いいか。
さて、「真の路上デビュー」はいつのことになるだろう。
最期のケア
「残念ですが・・・、○時○分です・・。」
医師が家族にそう告げ、一礼する。続いて私も頭を下げる。臨床現場で幾度となく
経験してきたこの場面。
さあ、準備ができたら「最期のケア」にいきましょう。
そうそう、「エンゼル・セット」も忘れずに。
昔、といっても数十年程前までは自宅で息を引き取るのが通常で、人が亡くなると
身内の者が「死亡確認」をして死後の処置をしていたらしい。
この処置のことを「
湯灌(ゆかん)」と言い、一連の作業は仏教的背景の濃い儀式的なものであったよ
うである。
しかし病院で亡くなる人が8割を超える現在では、「湯灌=死後の処置」を施設の業
務として医療者、つまり看護婦が行っていることになる。
そして日本の多くの病院
において、これは看護婦が患者に行う「最期のケア」になっていると言える。
ただし、実際は死後の処置の方法やどこまで看護婦が行うか、は施設によって異な
り、呼び方も「死後の処置」「後処置」「エンゼル・ケア」等さまざまである。
さて、目の前に横たわっているのはまだ元気な時から言葉を交わし、さっきまで「
生きるためのケア」を行ってきた方である。
ご遺体とはいってもピンとこないから
処置時に抵抗はない。
私たちにとっては生きている人へのケアの続き、という感覚
だ。
返事はなくても、これまでと同様「身体を拭きますね」「着替えますよ」と声をか
けながら、まず医療器具などを外し、身体を拭いて着物を取り替える。
着物につい
ては「これを着せて下さい」とご遺族が準備されていることがあるので処置前に確
認する。
男性ならひげをそり、女性なら薄化粧をし、場合によっては口腔や鼻腔に綿を詰め
て顔を整える。
最後にベッド周囲や室内を整理し、顔にかける白布と末期の水を準備して終了。
以上、一連の作業に必要なもの(白布・綿・剃刀など)がひとまとめにされている
のが「エンゼル・セット」なのである。
「私、がんばったでしょう?認めてもらえる?」
「もういいでしょう、(逝っても
)いいかしら?」
私にこう言って亡くなった患者がいた。
その人は末期のがんであった。
皆が「感情を表わさない、我慢強い人」と言う通り
弱音を吐かず、泣き言も一切聞いたことがない人だった。
亡くなるにはまだ年若
かったゆえに病状の進行も早く、ある時期から目に見えて衰弱し死期は近いだろう
と思われていたその日、私は勤務に入った。
消灯の巡回で訪室した私に彼女は突然
酸素マスクが片時も離せない状態で「私、がんばったでしょう?」と何度も必死
に訴えたのである。
それは自らに言い聞かせているようでもあった。
たまたまその
病室にいた若いナースはその言葉を聞いて、
「ダメよ、そんな事言っちゃ。がんば
らなくちゃ。」と言った。
「私、がんばったでしょう?」と言う患者に私達は何と応えればよいのか。
はたし
て彼女は「もっとがんばれ」という言葉を期待していたのだろうか。
こんなにがん
ばってきたのに、まだがんばれというのか?違うはずだ。
彼女は認めてもらいたか
ったのだ。
「あなたは十分がんばりましたよ」という言葉を聞きたかったのだ。
そ
うでなければ彼女は失意と孤独の中で死を迎えることになるだろう。
私はそのことをすぐに理解したが、同時に別の思いが頭をよぎった。
そこは4人部
屋だったのだ。
同室の患者が彼女と私のやりとりを聞いて、同じ部屋にいる人がも
うすぐ死ぬかもしれないと知ったらどう思うだろう?
だから、実際本当にがんばっ
てきた彼女に「もう、十分がんばってきたのだから、眠ってもいいんですよ」と言
ってあげたかったのに、それができなかった。
結局手を握りながら、曖昧な肯定と
も否定ともとれる言葉を返すしかなかった。
その後、彼女の意識は急速に低下し、二度と会話することなく夜が明ける頃、彼女
は息を引き取った。
私はこれまで何度も人が亡くなる場面に立ち会ってきた。
患者の死はもちろん悲し
いが、涙を流して泣いたことはなかった。
しかし、この体験は私にとってショッキ
ングであった。
彼女に十分応えることができなかった後悔と、自分自身の未熟さに
「最期のケア」を終えて自宅に戻ってから私は泣いた。
患者の死に、看護婦になっ
て初めて涙を流した。