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小山川を挟んで東側には行者籠堂と市指定文化財の阿弥陀磨崖仏がある。磨崖仏の製作年代は南北朝から室町時代と推定されている。行者籠堂と磨崖仏の対岸には行者堂、大師堂、不動明王像があり、行者堂には自然石の岩屋の中に役行者(えんのぎょうじゃ)像が祀られている。左隣に祀られているのが不動明王です。ここは信仰の霊地として阿弥陀如来像が刻まれているのは当然だが、島ヶ原ではこの像を大日如来と呼んでいる。江戸中期以後、ここに密教と関係の深い役行者が祀られるようになると、役行者に、よりふさわしい仏として大日如来と称するようになった。 |
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島ヶ原は藩政時代は街道宿場として、また伊賀・大和・山城の往還の要衝でもあった。今も関所跡に昔の面影を漂わせています。左側の(不動窟)は今日北向不動といわれている。この場所の少し西に、文久年間藤堂藩が関門を設けて、番兵を配置したあとがありました。 |
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二本抗とは俗称で、旧大和街道の藤堂藩<伊賀の國>と柳生藩<山城の國>の境として、元禄十二年(1699)幕府検使の指示により、それぞれの抗を合せ設置された箇所と伝承されています。その後明治十九年(1886)三重県と京都府が協議し、その合意に基づき京都府『従是西山城國』は旧道へ、三重県『従是東伊賀國』は新道に、それぞれ石柱を建立されたものです。 |